能登町定住促進協議会

コラム

column

父から受け継いだブルーベリー農園を次世代に伝える。

 

平美由記さん

1978年生まれ。能登町出身。「ひらみゆき農園」代表。短大時代は食物栄養学を専攻。金沢での約4年のOL生活を経て、地元柳田にUターン。2010年より父から受け継いだ農園で無農薬ブルーベリーの生産を始める。現在は県内で活躍する若手女性農業者と交流を深めながら、ブルーベリーを活用した商品開発にも取り組んでいる。4児の母。


 

祖父母の代から続くブルーベリー農園。

能登町の内陸にある柳田地区でブルーベリーを栽培しています。柳田でブルーベリーの生産が始まったのは今から約35年前。村の特産品にするため長い年月をかけて土壌改良や研究を重ね、120軒を超えるブルーベリー農家が一体となってノウハウを培ってきました。全国に浸透するチップ栽培を日本に取り入れたのもここが初めて。地元の農家さんと協力しながら完熟の実を一粒ずつ丁寧に収穫しています。

私がブルーベリー農家になったのは父の死がきっかけでした。日当たりの良い山の畑に植えられた150本のブルーベリーの木。祖父母の代から何十年も大切にされてきた農園を自分の代で無くしたくありませんでした。常連さんの「お父さんが亡くなって大変かもしれないけどこれからも送ってほしい」という声も、待ってくれる人がいるならという気にさせてくれました。

農林業は幼い頃から身近なものでしたが、受け継いだ当初は作物の世話どころか草の刈り方も分からず、山の中でひとり泣きながら草をむしったこともありました。最初の2年間は父が育てた実を収穫するだけでしたが、3年目になると実が小さく、味も酸っぱくなっているのに気づき、近所の農家さんたちに剪定や肥料のやり方を教わりました。

昨年は隣の畑に150本の苗を定植。2020年には約20種類のブルーベリーが収穫できる予定です。

 

慣れ親しんだ町でストレスフリーな子育て。

能登町にUターンしたのは2003年。能登町の役場で働いていた主人との結婚がきっかけでした。当時はまだブルーベリー農園を引き継ぐつもりはなかったので、知人に紹介してもらった建設会社に就職。その後も出産のたびに離職と復職を繰り返したのですが、人とのつながりが濃い地元ということもあって就職先には困りませんでした。 

当初は夫婦と子供だけで暮らすつもりで空き家を探したのですが、なかなか理想的な物件が見つからず結果的に主人の実家を増改築する形に落ち着きました。あとから考えると子供が生まれてから生活環境を変えるのではなく、最初から三世帯で暮らす選択をして良かったと思っています。

とくにブルーベリーの収穫が最盛期を迎える夏場は、義父母が4人の子供の面倒を見てくれるのでとても助かっています。同世代の遊び相手が少なかったり、朝と夕方の送り迎えは必須だったりと都会にはない苦労はありますが、慣れ親しんだ土地でストレスなく子育てができるのは地元ならではの良さだと思います。

Iターンで移住したお母さんたちは風習や文化の違いに戸惑うこともあるかもしれませんが、ちょっと面倒だなと思ったときもこういう土地柄なんだと素直に受け入れれば、ストレスは感じにくくなるはずです。 

自給自足が成り立つのも嬉しいこと。義父母が育てた米と野菜を家族全員で食べています。家族の作った農産物を食べられる有難さは、自分も農家になったからこそ分かるようになりました。

農業女子との交流で得た自信と経験。

畑を継いだ当初は一人で作業を続けてきましたが、現在は女性5人でチームを組んで加工品を作っています。砂糖は控えめで保存料も無し。ブルーベリーの食感が楽しめるよう、果実をごろごろ残したソースを手作りしています。

2015年には「いしかわ農業女子」の一員としてものづくりプロジェクトにも参加し、県内の化粧品会社とのコラボでハンドクリームの開発にも取り組みました。私にとってブルーベリーの新たな可能性に気づくことができた大きな出来事。

最近は木から落ちた廃棄ベリーを利活用した染料も開発しました。農業の担い手の高齢化が進む柳田地区には、農業を営む同世代の女性はほとんどいません。それだけに「これからも農業を続けていくことができるのか」と不安を抱えていたのですが、こうした出会いによって勇気付けられた気がします。

 

地元の農家や生産者とのつながりを大切に。

ブルーベリーは農協などに一度に出荷するスタイルではなく、お客さんとの触れ合いを大切にしながらネットや電話を利用して直販しています。ですが、ブルーベリー専業農家として自立するのはまだ難しく、現在もパートを続けています。夏はブルーベリー、冬は事務員の兼業農家。そして4人のやんちゃ坊主たちの子育て。週に1回はイベントや商品開発の打ち合わせのため金沢などの遠方に出かけます。

そんなときに頼りになるのが、義父母や近所の農家さんの存在。子供の世話や収穫の手伝いなど、私たちの農園は柳田で暮らす人たちの「特産品のブルーベリーを守りたい」という気持ちに支えられています。

最初は父が残したブルーベリーを守ろうという思いで始めた農園ですが、色々な経験をするうちに自分自身が生業として成立させないと次の世代に残せないと思うようになりました。そのためには、柳田のブルーベリーの魅力を世の中に知らせないといけません。自分が前に立って、ブルーベリー農園の後継者を受け入れる体制を整えたい。イベントがあれば積極的に出店するのもそのためです。 

これからも提携農家さんとのつながり、公社や生産組合との連携を大切にしながら、柳田のブルーベリーが全国区になるようたくさんの人を巻き込んで農業を続けていきたいです。

 

 

とある1日のスケジュール

6:00 起床
子供たちの朝食を準備して、7時半にはお見送り。8キロ先にある学校まで子供たちを送り届けるのはご主人の役目。土日はスクールバスが休みなので部活の送り迎えは必須。
8:30 農園
後片付けをしたら自分の支度をして農園に向かう。午前中は収穫。午後は工場で選別や加工品の生産など。夕方までに荷造りをして出荷する。
17:00 家事
買い物をして帰宅。夕食の準備に取り掛かる。18時すぎに部活を終えた子供たちを学校まで迎えに行く。
21:00 就寝
家族で夕食。子供を寝かしつけたあとに事務作業。収穫などでヘトヘトな日は、そのまま子供たちと一緒に寝ることも。