コラム

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能登の農業と漁業、そして人々の暮らしを道具で支える。

干場健太朗さん

1980年生まれ。能登町宇出津出身。高校卒業後、京都の大学に進学。経営学を専攻する。卒業後Uターンし、能登町役場に就職。現在は明治41年創業の老舗『ふくべ鍛冶』の4代目として、包丁や農具、漁師の道具などの金物を製造販売。その一方で、商工会青年部の中心人物として、地域活性や地場産業の振興にも取り組んでいる。


公務員から鍛冶職人へと転職。

 県外の大学を卒業後、地元の能登町役場に就職。退職するまでの12年間、まちづくりや地域活性に取り組んできました。鍛冶職人を目指したのは2015年。母が病気で他界したのをきっかけに「これからは家業の野鍛冶で地域を盛り上げていこう」と心に決め、町職員として働きながら早朝と深夜に修行をするようになりました。師匠でもある父は「見て覚えろ」の昔ながらの職人気質。同僚や近所の人たちに包丁を借りては、納得がいくまで何千本も研ぎ続けました。役場を退職後は、妻と一緒に会社を切り盛り。当時は子供が産まれたばかりで忙しい毎日でした。それでも、能登町が格安(1回500円程度)で提供する育児ヘルパーなどを活用し、何とか乗り切ることができました。能登は自然に囲まれた素晴らしい土地。休日に子供たちと一緒にキャンプやグランピングをするのが楽しみの一つです。

お客さんの困ったを良かったに変える。

 野鍛冶は、包丁や農具、漁具、山林刃物などの製作や修理を担う鍛冶屋のこと。能登の産業と文化を守るため、農業や漁業、人々の暮らしを道具で支えることが、この町における自分の役目だと考えています。その一つとして力を入れているのが移動鍛冶。週に2回、鍛冶道具を積んだ赤いワゴン車で能登町全域を走り回り、包丁や農具などの修理や販売をしています。山から重たい鍬を担いでバスを乗り継いで来店されたお年寄りを見て始めたサービスですが、初代勇作が馬車に金床などを積んで行商をしていた歴史を受け継ぐものでもあります。また、この移動鍛冶は一人で暮らすお年寄りの安否確認も兼ねていて、実際に自宅で具合を悪そうにしていた方を発見したこともありました。各地区の集会所や公民館に訪れることが多いのですが、お年寄り同士のコミュニティーの場にもなっているようです

点と点をつないで、地場産業を盛り上げる。

 鍛冶屋の息子ということもあり、役場に勤めていた頃から地場産業を盛り上げたいという気持ちがありました。そこで取り組んだのがビジネスマッチングです。能登町の中には鍛冶屋もあれば、建具屋や畳屋など専門的な業種がいくもある。そうした業者が力を合わせて一つの物を作ったら一体どうなるんだろうか。そんなことを考えながらワクワクしていました。例えば、漁師が愛用する間切包丁。それまでは持ち手の木の部品も自分たちで作っていましたが、数年前から建具屋にお任せしました。それによってお互いの得意分野が存分に発揮できる。品質アップはもちろん、作業の効率化によって量産できるようにもなり、様々な商談会や営業へ行けるようになりました。おかげさまで間切包丁は、一年以上の予約待ちが必要な人気商品となっています。

 目指すのは能登ならではの産業を結びつけて生業とすること。点はいずれ線となり、線はやがて面となる。能登町には輪島塗などの大きな産業はありませんが、小さな産業が力を合わせればいつしか大きな産業へと成長すると信じています。人と人を繋げるのは役場時代から得意としていたこと。まちづくりに関わった当時の経験を生かしながら、地域を支える存在になるのが私の人生の目標です。

1日の流れ

6:00 作業開始
自宅から1キロほど離れた工場で作業を開始。鉄の鍛造、溶接、研磨など、すべての技を習得するには最低でも15年はかかると言われています。現在は各工程に専門の職人を配属し、父の技を手分けして継承しています
8:00 保育所
ひと仕事を終えたら自宅に戻って朝食をとります。子供を保育園に送り届けるのは私の役目。8:30頃から移動販売の準備を行い、12:00頃まで各集落へ移動販売に行ってきます。毎週木曜と金曜は移動鍛冶の日。地域の集会所や催しにワゴン車で赴いて、修理を預かったり金物を販売します。道中の移動時間は、商品開発や地域振興のアイデアが閃く貴重な時間でもあります。
13:00 工場で作業
包丁、鎌、鍬など製造したり、修理したりしています。伝統文化や産業界の特殊な道具の開発や研究なども、この時間で行なっています。
19:00 夕食
保育所に子供を迎えに行ったら、お風呂に入れて家族で夕食をとります。そのあとはフリータイム。地域活性やビジネスマッチングなどの企画を練っていると、いつのまにか深夜を回っていたりします。