能登町定住促進協議会

コラム

column

15年ぶりの地元へのUターンは奥様と2人で。
趣味の農業やスポーツを楽しみ、伝統の祭りを盛り上げる。

豊若 裕治さん(とよわか ゆうじ)

能登町(布浦)出身、昭和53年生まれ。大学は京都に進学。就職後もそのまま京都で金融機関に勤め、転勤族に。印刷会社勤務の仙台在住時に東日本大震災を経験し、青森出身の奥様とともに能登にUターンした。


長男としていずれは戻ろうと

能登町の松波の出身です。高校までを地元で過ごし、大学進学時に京都に出ました。そのまま京都で金融会社に就職し、仕事柄あちこちに転勤し、いろいろな土地に住みました。その後、会社の吸収合併を機に転職。印刷会社の営業をして仙台に住んでいた時に、震災がありました。

震災の後に地元に戻ったわけですが、長男だし、父の体調も心配で、元々いずれは戻って来るつもりでした。ただ、なかなか自分なりのタイミングが合わず、本当はもっと早く戻るつもりが震災で交通手段がとれなくなり、移住が伸びた格好でした。

夫婦それぞれ、新たな仕事に

妻と二人で移住してきました。まだ金融機関に勤めていて仙台にいた時に、同じ会社で知り合いました。結婚する時から「いずれは帰る」という約束だったので、いざ移り住むときにも特に抵抗感はなかったようです。妻は青森の出身で、地元は山奥なんですが能登町と似た雰囲気もある所です。

戻るに当たっては、当初やはり、「田舎なので、職種が介護の仕事などに限られるのかな」という心積りで来ました。自分の経験の長かった金融機関にたまたま縁があり、ありがたいです。

妻のほうも、パートですが、運よく実家に近い社会福祉協議会に職を得ることができました。

地元に残った同級生たちの声掛けがありがたい

地元から離れていた時間が15年間ほどにもなるので、地域の顔ぶれも変わってしまっているだろうと思っていましたが、いざ戻ってみると、地元に残った同級生たちが結構多くいるんだなと実感しました。私の学年には、自営の商売屋さんなど家に残る者がたまたま多かったのもあると思いますが、よく声をかけてくれたり仲間に入れてくれて、それがとてもありがたかったですね。地域とのつながりを取り戻すのが、とてもスムーズでした。

移住4年目、祭りの責任者に

2015年の今年は、移住からまだ間もない4年目ですが、地元のキリコ祭りで責任者を任せてもらいました。かなり大変でしたが、認めてくれたという思いが伝わりました。若い人が少ないという事情も、もちろんあるんでしょうが、祭りの関係者も町内の人も受け入れてくれて、重い責任を任せてくれた。ありがたかったです。

実際の祭りは半日だけなんですが、準備が長く、約1か月はかかりきりになります。人形づくりだけでも3週間。今月、祭りを終えまして、改めて友だちも近所の皆さんも「受け入れてくれたかな」と思っています。すごく住みやすい所だと思います。

ここでの暮らしを夫婦で楽しむ

プライベートでは、休みの日に野球をしたり、また地域に溶け込む機会にと、町の恒例一大行事となっているマラソン大会にも、夫婦で参加しました。この行事は、職場である信用金庫が主催しています。これからも、配属の支店によっても、よりいろんな地域の行事に参加する機会があると思います。妻も、いろいろな所に顔を出すのがいいかなと思っています。

家庭菜園が楽しい

いま夫婦で楽しんでいるのが、農業です。あくまで趣味程度ですが、親父が残した祖父の代からの小さい畑をしています。子どもの時は農業にはほとんど携わっていませんでしたし、仙台のアパートではプランターで野菜を少し育てたりはしていましたが、畑と言えるものは初めて。すごく楽しくて、嫁と一緒に楽しんでいます。

あと、こっちはもらうんですよね。自分で作った以上にもらう。これはすごい。たまたま親戚に漁師がいるので、魚ももらったりします。この辺は海がすぐなんで、釣りをしている人も多いですね。

仙台も漁業が盛んで、「お魚がおいしい所だ」と思っていましたが、こっちに来るとまた全然違います。おいしいですね。仙台は太平洋側で、獲れる魚の種類も違いますしね。仙台も本当に住みやすい所です。

震災の経験を伝える役割

東日本大震災の経験を、人に話すようにしています。本当に大変な思いをしたので。でも、時間が経つと、当の本人も記憶が薄れてしまいます。自分のことではないように感じて、話さなくなってきているのを感じます。

地震発生のときはお客さんのところに向かう途中でした。車の中でも波打つほどで、只事ではないと感じ、すぐ会社に戻ることにしました。後で聞きましたが、自分がいた所にも津波が来たそうです。戻ったのは偶然ですが、あのとき戻ってよかったわけです。

町の補助で、防災士の資格を取得することができました。まだ今は取っただけですが、そういうこともやってみています。

転勤で新たな地域も体験したい

これからですが、この仕事は転勤が100%ある仕事なので、妻も一緒に連れて行って、いろんな土地での暮らしを体験したいです。と言っても、異動先は石川県内だけですけど。

以前も転勤族で、いろんな所に住んだことが自分にとってプラスの経験になりました。なので、今後もいろいろ動いて、様々なことをやってみたいです。私は動くのが好きなので、この仕事に出会えてよかった。いろんな所に行ってみたいです。

母はいま一人で住んでいて、まだまだ元気で遊び回っています。異動は遠くて金沢まで。万が一何かあっても、金沢くらいの距離ならすぐ帰って来られます。最終的に戻って来られればいいなと思っています。

地域を元気にすることが大切

自分が実際に15年ぶりに戻ってみて、周りの人が受け止めてくれた。あったかい人が多く、戻りやすい環境だと思います。そういう面では、移住の受け皿はできていると言えます。

やはり皆さん、地元に帰ってくるに当たって、仕事が一番ネックでしょうね。僕の場合はたまたま運がよかった。感謝しています。

戻ってきたい気持ちは、皆さん充分あると思うんですね。祭りの時は、「一体どこに、こんなに人がおったんや?」ぐらいの人出で賑わいます。若い人もみんな戻って来ます。ふだん地元にいる人だけだと、キリコなんか全然動かせません。あのままみんな能登に残ってくれれば、地域の活気はすごいですよね。

興能信用金庫は、本店をこの町に置いているわけですから、能登が元気になるような取り組みをどんどんやっていかないといけません。理事が常々おっしゃっていることでもあります。その手助けをしていきたいです。