コラム

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酒とまちづくり。伝統的な酒造りに挑戦する女性杜氏。

鶴野薫子さん

1991年生まれ。能登町鵜川出身。金沢市内の高校を卒業後、富山大学経済学部に進学。将来的に海外で働くことを視野に学業を修めるが、父親が大怪我をして大変な時期にあった実家の『鶴野酒造』を手伝うためUターンを決意する。2016年に杜氏に就任。現在は女性杜氏としての感性を生かしながら、母と姉と少数の蔵人たちで酒造りに励んでいる。


実家の酒蔵を手伝うためUターン。

 高校時代からグローバルに活躍できる仕事がしたいと考え、いつかは海外で働くことを夢見ていました。そんな私が能登町にUターンを決めたのには三つの理由があります。一つ目は、経営者として『鶴野酒造』を切り盛りする父が大怪我をし、その介護に追われていた母をサポートするため。小規模な酒蔵なので、私が手伝わないとダメだと思いました。二つ目は、在学中に母方の祖父が亡くなった際、親戚一同がすぐに集まったのを見て「もし、自分の両親に何かあったとき、こんな風にすぐに駆けつけたい」と思ったから。このとき自分の生活は家族が軸となっているんだと気付きました。三つ目は、いくつか就職活動をする中で、他の会社と比べても実家の酒蔵は企業として遜色ないのではと思ったから。友人たちは卒業後に私が能登町にUターンすると聞いて驚いていましたが、私としてはごく自然な流れでした。

伝統的な槽搾りによる丹念な酒造り。

 2年前に杜氏となり任される仕事も増えました。仕込みの時期となる10月から3月までは、ほとんど休みなし。朝5時すぎに起きて蔵の温度を計ったら、蔵人さんが出勤するまでに米が蒸しあがるよう準備。昼からは翌日分の米を洗ったり、もろみの分析をしたり、輪島や金沢までお酒の配達もします。夜中は数時間おきに起きて麹の状態をチェック。寝不足の日々が続きますが、自分が試行錯誤して仕込んだお酒がどんな味になるのか想像するのがとても楽しいです。じつは数年前に長年勤めていた杜氏の方が辞めたあと、しばらくは母と蔵人の数名で酒造りをしていた時期があるのですが、そのときに母が「全ての作業にやりがいがある」と楽しそうに話していたのが、今になるとすごく共感できます。一口目が美味しくなければ、二度と買ってもらえない。しかも、私たちは搾りを手作業で行うなど昔ながらの手法で酒造りをしているので、その一つ一つがダイレクトに味に伝わります。とてもプレッシャーのかかる仕事ですが、伝統を守りながら少しずつ自分の色を出していけたらと思っています。

能登町は若者が活躍できる町。

 若い世代が少ない町だからこそ、私のような若者にも多くのチャンスが巡ってくる。そんなところも能登町の魅力だと思います。私自身、普通の会社に勤めていたら会うこともできない大企業の社長さんとお話させてもらったり、人間としての成長にもつながる機会をいくつもいただきました。今、私が考えているのは、酒蔵が中心となって町を元気にすることです。お酒が売れれば酒米を作る農家が儲かり、遠方から酒蔵に訪れる人が増えれば民宿や飲食店が儲かる。相乗効果で町に活気が出ればと思っています。また、海外に販路を開拓するなどして、能登町をグローバル化させる。そういった形でいつか地元に恩返しするのが、私のこれからの目標です。

1日の流れ

5:30 起床
起きてすぐに蔵の温度を計り、濾液を採取して分析。7:00頃に朝食をとったら、蔵人さんの出勤にあわせて米を蒸しあげます。
12:00 作業
酒造りはもちろん、接客、雑用、商品の発送、経理など、やることはたくさんあります。とくに仕込みの時期は寝不足の日々が続きます。
9:00 朝食
軽めの朝食を済ませたら、鮮魚をショーケースに並べたり、行商用の刺身を捌くなどの開店準備に取り掛かります。
14:00 配達
酒屋などの取引先へ配達をします。能登町内に限らず、ときには金沢まで車を走らせることも。音楽を聴いたり、考え事をしたり。リフレッシュできる貴重な時間です。
23:00 就寝
仕込みの時期は数時間おきに起きて、麹に手を入れたり、もろみを管理しなくてはいけません。大変な作業であるがゆえ、自分が目指していたお酒ができたときは格別です。