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やっとるよ

能登町 企業メッセージ

定置網の国内シェア100%!
日本の漁業を底から支える会社。

製造業

柳田製網

漁網仕立製造会社として1972年に創業。1983年より「ホクモウ株式会社」の定置網仕立製造工場として、定置網の修理や製造を行なっている。その品質の高さから日本国内はもとより、魚資源が豊富な海外諸国からの受注も増えている。

沿岸に網を仕掛け、じっと魚が来るのを待ち、網に入ってきた魚だけを獲る定置網漁。
江戸時代から続く、日本の伝統的な漁法だ。定置網を作り続けて35年。
国内製造シェア率100%。日本中の漁場を底から支える会社が能登町柳田にある。

「柳田製網」はどんな会社ですか?

全国の漁場で使われる定置網を製造する会社です。元々は沿岸漁業の漁法のひとつである「刺し網漁」の網を作っていたのですが、1983年に「北陸製網(現ホクモウ)」のグループ会社となってからは定置網の製造や修理を専門としています。日本で使われる定置網のほとんどが私たちの商品ですが、国内からの注文のほかにもポルトガルやチュニジアなど地中海沿岸の地域にも輸出されています。

定置網はどうやって作られているんですか?

網同士を手作業で縫い合わせて、一枚の大きな定置網を作り上げます。漁場によって獲れる魚の種類や海底の形なども違うため、必要とされる網の目合いやサイズ、形、深さが変わってきます。なので、制作する定置網はひとつとして同じものはありません。たとえばイワシ漁が盛んな漁場の定置網は目が小さく、ブリ漁が盛んな漁場は目は荒くて網が太いものが使われます。最近は漁師も人手不足なので、自動で巻き上げるためのパーツも付けたりします。制作期間は2週間から4週間。大きくて複雑なものだと、それ以上かかることもあります。

いつどんな場所で作られているんですか?

最近、新設した工場です。大きさは小学校や中学校の体育館ほど。そこに網を広げてみんなで作業します。春は千葉県房総半島などの太平洋側で使われる定置網、夏は北海道の鮭漁の網、秋は富山湾のブリ網、冬にかけては日本海側の網といった感じで、全国各地の漁期に合わせて大まかなローテーションが組まれています。さらにはその間に飛び込みの仕事も舞い込んでくるので、仕事が途切れることはありません。

工場では何名くらいの人たちが働いていますか?

男女合わせて36名。9割以上が女性という製造業としては珍しい職場です。おもに女性が手作業で網を縫い、男性は浮きやロープを取り付けます。最高齢は78歳と、若い子からベテランの間には、孫とばあちゃんくらいの歳の差があるのも特徴。経験値がものをいう仕事なので、手が(仕事を)覚えていれば足腰が弱っても続けられます。人手不足もあって数年前に定年制を廃止したので、気力さえあればいつまでも続けることができます。能登町だけでなく、輪島市や珠洲市から通っている従業員もいます。

なにか決めごとみたいなものはありますか?

世間話をしながら作業する人もいれば、ひたすら寡黙に作業する人もいます。手さえ動かしていればOKという自由な風潮で、ストレスなく働くことができると思います。実際に他の会社と比べても定着率は非常に良いです。就業時間は8〜17時。ただし、送り迎えなどがある子育て世代の母親に対しては柔軟に対応しています。

多くの女性が働く会社にとって、なにが大切だと思いますか?

ライフスタイルに合わせて働ける会社であること。子供の行事にも気兼ねなく参加して欲しいので、家庭のアレコレにも順応できる雇用形態の整備をつねに意識しています。それともうひとつ、班長やリーダーなどの役職は設けていません。全員がフラットな関係。チームワークが不可欠な仕事なので、なるべく上下関係は作りたくないんです。そのなかでより自然な関係性や役割が生まれれば良いと考えています。

どんなところにやりがいを感じますか?

特殊な技術を持ったライバルとなる会社が非常に少ないため、景気の波に左右されないのも強みのひとつです。景気に左右されないから賃金も安定する。これまで仕立て工賃を下げたことがないのも密かな自慢です。また、魚が獲れなくて困っている漁場に対しては周辺を調査をして漁場に適した網を作り直すファイナンスも行なっています。支払いや返済は前年の漁獲高(売上)より上回った分だけ返済してもらう。儲けよりも魚資源や漁業を守ることが大前提という考え方です。そうした取り組みを続けることで、より高い信頼を得るようになりました。もちろん品質の高さも自慢。職人全員に中途半端なものは作らないというクラフトマンシップが根付いています。

これからの課題や目標はありますか?

ここ数年で漁網を作る工場が激減しており、どこの地域も後継者不足に悩まされています。10〜20年後には網を仕立てる人間がいなくなるのではないか。そうしたときに日本の漁場はどうなるのか。日本の漁場を支える人が増えて欲しいというのが今の願いです。私自身の仕事は定置網の全体図を設計して、監督指揮(段取り)するという特殊なもの。27歳でこの仕事に飛び込んでから当時社長だった母の仕事を見ながら経験を積んで、6年目でようやく自分の設計でひとつの定置網を仕立てることができました。能登人の気概があれば成せる仕事。やる気のある人はぜひチャレンジしてみてください。

海洋の伝統工芸とも言われる定置網づくり。
自然の摂理を生かしながら、数百年にわたって日本の漁場を支えてきた定置網は、魚を愛する国の「知恵」として重宝されていくに違いない。

谷坊美明さん

能登町柳田出身。
20代の頃は証券マンとして、岐阜、名古屋、横浜など各地を渡り歩く。1987年に起こった史上最大規模の株価大暴落(ブラックマンデー)をきっかけに退社を決意。27歳でUターンし、母親が経営する製網会社で働くようになる。現在、定置網製造の担い手を募集中。

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