昨年、地元の小学校の取り壊しが決まった。
卒業した小学校が廃校になったのは、私が卒業した翌年だった。
少子化により廃校になって以降、建物の老朽化が問題視され今回の取り壊しが決まった。
育った学び舎がなくなることは寂しい気持ちもある。
学校に限った話ではなく、今や少子高齢化は多くの地域で問題となっており、能登町は消滅可能性都
市とも言われる。
人がいなくなるとどのようなことが起こるのだろうか。
例えば、お祭りがなくなる。
私の地元のお祭りは、小学生の男の子が女装をし、山車に乗って歌い踊り集落を周る”きやらげ”とい
うお祭りで、能登町では唯一私の地元が行っている。
しかし、この祭りも少子化の中で担い手となる小学生男子の数が減り、消えゆく文化になりつつあ
る。そして、これはお祭りに限った話でもない。数十年後、この地域はどうなっているのだろうか。
私は仕事の傍ら、趣味で写真撮影をしている。
能登の風景や、自然、日々の暮らしを写真で切り撮っている。
この町には素晴らしい景色が沢山ある。例えば、北アルプスの山々から登る朝日、満天の星空、田園
風景、里山里海、お祭りなど。あげればきりがない。
能登で過ごしていると、時間の大切さに気づく。
写真を通して向き合う時間の一瞬はその時にしかなく、過ぎた時間は取り戻せない。
それは、少子高齢化社会の中で消えゆく文化や町の景観、人々の暮らしも同じではないだろうか。
変わっていく環境の中で、自分に出来ることは小さいけれど、写真を通して能登のことを伝えていけ
たらと思っている。
例え失われゆくものでも写真として残していたい。
そうすれば記録にもなり、誰かと共有をすることができるからだ。
写真をSNSなどにあげると、能登が魅力的な場所だと言ってくれたり、写真を楽しみにしてくれたり
している人たちがいる。能登まで来た方もいた。
町の外に出た同級生でも「能登に帰りたい」と話す人もいる。
少子高齢化の波が奪い去るものも多いかもしれない。
でも、その中でできることはたくさんあるし、変わっていく環境の中で変わらないものを大切にして
いたい。変わらずにこの場所で暮らす人たちがいることを、何気ない日常の中の景色を誰かに伝えて
いたい。
自分にとって能登という場所は、そのような気持ちにさせてくれる場所だ。