能登町定住促進協議会

コラム

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地域の偉人の誇りを胸に【久田船長碑前祭/鵜川】

鵜川はかつて鵜川村とよばれ、古くから漁業の盛んな地域です。そんな港町、鵜川地区の菅原神社境内には高さ6.6メートルの石碑があります。

 

明治36年10月29日。船長、久田佐助が乗った青函連絡船の東海丸はロシアの貨物船と衝突しました。浸水していく中、久田船長は乗客100人あまりを救命ボートに乗せ、自らを船橋に縛りつけ、SOSの汽笛を鳴らし続けました。しかし、東海丸は久田船長と海底へと沈んでしまいました。

命にかえて乗客と船員を守った久田船長は今も語り継がれ、毎年碑前祭が行われています。今年は117回目です。

碑前祭では久田船長顕彰会の方々や鵜川小学校の5・6年生、地域の方によって玉串が捧げられました。

5年生代表2名が国定教科書『久田船長』を朗読しました。

 

 

 

そして唱歌『久田船長』を歌います。

鵜川地区の文化祭では小学生による唱歌と紙芝居が発表されています。その唱歌の歌声に合わせ、地域の方も歌うことができるほど、なじみ深い歌になっています。先日も鵜川地区三偉人(久田船長、原勤堂、阿武松緑之助)の絵本とDVDが地域の有志によって作成されました。

古くから祭礼文化も守り続けてきた鵜川地区。強い責任感と使命感をもって命を全うした先人の想いを受け継ぎ、まっすぐ、しっかりと石碑を見つめていました。

 

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名誉に死せる船長は その姓 久田 名は佐助

生れは能登の鵜川村 実に海員の 鑑なる

 

(明治36年12月作 文部省唱歌『久田船長』より)