能登町定住促進協議会

コラム

column

窓から港と舟が見える海沿いの店。
地元になじみのケーキとパンの味で、地域に溶け込む。

上見 正人さん、慶子さん(うわみ まさと、けいこ)

正人さん:愛知県(名古屋市)出身、昭和50年生まれ。製菓材料勤務(金沢市)等を経て、Iターンで能登町へ。
慶子さん:能登町出身、昭和49年生まれ。ご実家の菓子店を継ぐべく、家族で金沢からUターン。


10年前に移住、ケーキ屋の3代目に

この店はそもそも、慶子の祖父が創業し、父が跡を継いでいました。その父が10年前に脳梗塞で倒れ、私たち夫婦はその頃金沢に住んでいたんですが、急きょこっちに移ってきて店を続けることになったんです。実は、父が倒れたのは店舗を新しくばかりの頃でした。建築士である義兄に手掛けてもらったお店を、私たちで続けることにしました。

慶子が学生時代に製菓学校に進学したのは、やはり「いずれは店を継ごう」というつもりがあったからですが、10年前はちょうど子どもが生まれたばかり。子育てに手がかかる頃で、タイミングとしては予想外の時期でした。

焼きたてパンと、手作りケーキ

2人が知り合ったのは、東京の製菓の専門学校時代です。25歳のときに結婚しました。私は名古屋の生まれ育ちで、学校卒業後はまず東京で働き、その後は金沢のケーキ屋や、名古屋のパン屋に勤めたりと、いろいろな修業をしていました。こっちにくる直前までは、金沢で製菓材料の会社に10年ほど勤めていました。

今は、私がパンを担当し、ケーキと和菓子は職人さんが担当してくださっています。慶子もケーキを手伝っています。

店を続けたから、地域の懐かしい味を残せた

父の代からもう40年も勤めてくださっている職人さんがいまして、その方がいたから今までやって来られたと思います。父からの引き継ぎが難しい状況だったこともあり、大変助かりました。ケーキもパンも、地元の人の舌に慣れた味を、そのまま残してお出しできています。この辺りの皆さんが、「懐かしい」と言って下さる味です。

ほかに、日持ちのする菓子もあります。「堅棒」は、この辺りの能登の名産品です。町の特産であるイチゴを使った羊羹もあります。生の和菓子も少し出していて、大福や「いがら餅」があります。

漁師町の奥能登方言に驚いた

移住してきた当初の頃は、言葉が本当に大変でした。私は生まれこそ石川県ではないですが、金沢に長くいましたし、金沢から能登町への県内移住だったんですが、それでも全然分からない。

小木は漁師町だし、早口で、口調も荒いイントネーション。本当に分からなくて、名詞しか聞き取れないんです。「あ、リンゴのことを言っているけど、リンゴをどうしたいのかは分からない」。何とか笑顔で切り抜けるという感じです。

後になって、地元の若い人でもこの辺りの高齢者世代の言葉は聞き取れないんだと分かりました。「何言ってるか、分かる?」「いや、分からん」って。

移住者が来た。興味と警戒心

コミュニティの雰囲気の違いからくるギャップについては、移ってきた当初はすごくありました。地元の人から見たら、全然知らない人間がやってきたわけなので、興味津々でありながら警戒心もあったと思います。

でも、最初の頃の警戒心が解ければ、それからはとても親しくしてくださいます。私たちの場合は、両親たちが作ってきた信用があるので、楽をさせてもらったんだろうと思います。みんな、「うわみさん、うわみさん」と声をかけてくれ、すごく助かりました。

子どもたちのつながりが強い

お店は海沿いで、すぐ隣に船を係留しているのが見えますが、そのすぐ向こうがちょっとしたプライベートビーチのようになっています。昨日も中学生たちが遊んでいました。子どもが少ないせいか、横の同年代のつながりだけじゃなく、縦のつながりが強いのを感じます。

名古屋の実家の辺りは住宅地ですが、子どもはそこでも少ないです。空いた土地もないので、外からの人間が新たに入っては来られない状況。付近に散らばってドーナツ化が進んでいます。それに、名古屋の頃は、近所の人間のことも全然知らないような状況があり、しゃべることもなかったです。その辺りがこっちは全然違います。その違いはとても感じます。

うちの子たちは今、小学5年生と2年生になりました。学年関係なく、みんなと「わーっ」と遊んでいます。

 

うわみ花月堂

住所

石川県鳳珠郡能登町小木

電話番号

0768-74-0046