栗間 康弘さん(くりま やすひろ)
東京都(東村山市)出身、昭和63年生まれ。東京農業大学卒業後、数馬酒造株式会社入社。 醬油製造を経て日本酒製造に携わる。現在、工場長補佐。
高校の頃から酒造への就職を見据えて大学進学
大学は東京農業大学 応用生物科学部 醸造科学科。高校生の頃から将来の就職は酒造メーカーに行こうと決め、醸造科を目指していました。
中学の時の探検部の顧問の先生が好きで、その先生が東京農大の出身だったことから、そこに行こうと思ったんです。自然と触れ合う面白い部で、学校外での活動が多く、八国山で炭焼きを体験したり、水晶を掘りに行ったり、週に一度ほどは自転車で30分かけて出かけていました。
大学では、小泉武夫教授の講義も少しですが受けました。化学的な話より醗酵食の文化的背景を語っておられましたね。醸造科の学生には酒蔵の息子が多かったです。授業では、ビール、ワイン、清酒を作る作業実習がありました。酒造メーカーに行き、酒造りを実地に体験するプログラムもあり、熊本の酒蔵で10日間お世話になりました。何年も大学生を受け入れている酒蔵だったので受け入れに慣れておられ、学生でもできる作業を体験させてもらいました。
新卒で能登へ。酒造メーカーに就職
大学卒業の際、研究室の先生からは大きな酒造会社を紹介いただきました。大手は機械化がより進んでいるので、多くの人が対応可能です。しかし、大手に行くと全工程ができません。大手の蔵の人が小さな蔵に来ても務まらないが、逆は十分可能。自分の希望では、酒造の過程の一通りを身に着けたかった。やるんだったら全部知りたいと、小さな酒蔵を選びました。仕事としては、小さい蔵が面白いと考えたんです。
一連の仕事をさせてくれそうなところを探そうと、自分で職安で探しました。東京を出たかったので、できるだけ遠くに行こうと職安の端末を叩き、この数馬酒造の求人を発見しました。
小さな酒蔵で、一通りの酒造りの工程が経験できることで希望通りでした。いきいきと仕事ができそうで、さらに醤油も作っていて、醗酵の仕事を複数体験できることにも魅力を感じました。
東京を離れたかったというのは、小さい頃は東京でも近くに畑も雑木林もあったが、だんだん少なくなり、電車での通学も混んでいて嫌だったから。能登がどこかも知らなかったので、住所からグーグルマップで探しました。半島が表示され、しかもその奥のほうということにも魅力を感じました。
若い経営者のもとで
就職して5年になります。能登に来てまず困ったことは、言葉でした。最初の数年は日本酒ではなく醤油づくりのほうの手伝いをしていたのですが、その指導者が純粋に地元の方で、言葉が分からなかった。
5年経ってみて、中の実務作業は任せてくれているので、やりやすいです。経営者が新しい機械の導入にも積極的なので、仕事はしやすい。日本酒を外国市場へ紹介し売り込む海外展開にも、熱心に取り組まれています。
酒造りについては、自分はまだ2シーズン酒蔵に入っただけなので、ようやく一通りの仕事が分かった程度。2年目から杜氏が代わったので、仕事の仕方も異なっており、どちらがよいのかも分からない。
大手の酒蔵は、工程がより機械化されているので個性が出にくいが、小さな蔵では手作業が多く、その人個人が持つ感覚が反映されやすい。マンツーマンで仕事をしていると、個性と個性のぶつかり合いで仕事が進みます。人間的な面が出やすいです。
杜氏への道。20代杜氏を目指す
前の杜氏からは、「20代で杜氏にならないとダメだ」と言われました。頑張りどころだと思っています。杜氏になっても、先は長い。本当のプロフェッショナルになるためには、感覚も研ぎ澄ませないといけません。
杜氏になるのには、何かのプロフェショナルがなるパターンと、工程全体の管理者として杜氏になるパターンがあります。昔は、麹づくりを何年かやり、次にもと(酛)を何年かやった人が杜氏になりました。麹づくり何十年の人には、若い人間は太刀打ちできません。杜氏になってからも、麹づくりは専門家に任せるという人もいます。
一方で、清酒業界では近年、若い造り手が活躍しております。蔵の垣根を越えた情報交換や共に酒造りやきき酒を勉強する機会を設け切磋琢磨している結果だと感じます。
酒造りの工程管理上、温度管理のデータ蓄積は重要な情報です。設備が一緒であれば、データを把握して作業をきめ細かく指示できれば、一定水準を越えた酒が造れる可能性は高いと思います。そこから洗練された味の酒造りを目指すとすれば、熟練の技が必要になります。その違い、難しさはあると思いますね。
しごとの当面の目標
杜氏を目指して勉強しないといけない。本も読まないといけないんですが、教科書通りにやっても毎年原料である酒米や水も違いますし、設備が異なれば仕事の仕方が異なるので、それだけでは足りません。本に書いてないことも多い。実地で学ぶことが多いです。
他の造りを学ばないといけない時も来ると思う。酒造りの工程の一つ一つにこだわりがあるのは、仕上がる酒の味へのこだわりでもあり、そうなれるとよい。
能登の食材でつくる料理は、究極の楽しみ
しごと以外では、酒のつまみを作るのが楽しみ。料理は自分でします。山菜を貰うこともあり、自分でも買い求めて調理します。究極の楽しみが能登の食材でつくる料理。どうやって作るの?と教えてもらい、やってみています。丸魚をさばく練習もしています。
地元の人と話す機会は、実はスーパーが一番多い。スーパーで会うといろいろ立ち話をするし、レジの方とも話してから家に帰るという感じです。会社のスタッフ以外ではスーパーで一番話しているかも。
生活する上で、食は重要な要素だと思います。移住先の話題になった時、海の無い県は魚がないのがやはり困る!という結論になりました。能登では四季が感じられるのがよい。花だけでなく、食べるものも季節感があります。あとは酒ですかね。
車を持たずに能登暮らし
宇出津が理想的な生活圏。東京で育った実感として、人があまり増え過ぎるのはよくないと思っていました。これぐらいがちょうどよい。
能登で暮らすにはマイカーは必須と言われますが、5年経った今も車を持っていません。宇出津に住んでいれば、車が無くても生活できますね。自転車で移動しており、金沢へ出ることも滅多にないです。業務では配達で運転しますが、ゴールド免許(無事故無違反の優良運転者)のまま。会社が借りている一戸建てに住んでおり、家賃は1万円で済んでいます。