能登町定住促進協議会

コラム

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共創は「目的」ではなく「手段」――のと未来会議2020・第4回開催レポート

能登町では2018年から、参加者一人一人が「やりたいこと」を主体的に叶えていくきっかけづくりを目指して「のと未来会議」を開催してきました。町民と役場、町外から訪れた参加者が共に未来を描き、対話するプロジェクトです。

3年目となる今年度の「のと未来会議」は「わたしたちの未来の暮らしのヒントを見つける」をテーマとして、11月から全4回開催してきました。第1回から第3回まで、コロナ禍のためオンライン開催という新しい形での「のと未来会議」に挑戦してきて、最終回となるこの第4回は満を持してオフラインでみんな能登町に大集合だ~!!……と楽しみに計画していたのですが、残念ながら国内の感染状況を鑑みて今回もオンラインでの開催となりました。

(いつか必ず能登町に集合するぞ!という運営メンバーの誓いとともに…!)

 

今回の第4回は「これからの時代における共創」として、のと未来会議2020の根底にずっと流れていた「共創」という関わり合いについて、参加者全員で真正面から考えていきました。

真正面から向き合うあまり、グループトークでは重い沈黙が漂う場面も。わたしにとって、あなたにとっての共創とは?共創の先に、わたしたちはどんな未来を描けるのか? 第4回の様子をお送りします。

のと未来会議2020 第4回の流れ
 ▼のと未来会議 開催概要
 ▼チェックイン:“共創”と聞いて浮かぶイメージをたとえると?
 ▼未来の共創を考えるために改めて…能登町について
 ▼ストーリーテリング:能登町の中と外から未来を創り始める3人より
 ▼振り返り:これからの時代における共創の方法は?
 

▼のと未来会議 開催概要

のと未来会議2020 VOL.4「能登町の未来を創る人たちと、私たちのこれからのつながり方」

日程:2021年3月6日(土)19:00~21:30

場所:オンライン会議システムZoom

主催:能登町役場ふるさと振興課地域戦略推進室

プログラムデザイン・進行:玄道優子

グラフィックファシリテーション:出村沙代(株式会社 たがやす)

 

チェックイン&ミニワーク:

 “共創”と聞いて浮かぶイメージを何かにたとえて教えてください

最終回のこの日にも、能登町内や全国各地の方が続々とZoomに集まってくれました。

オリエンテーションのあと3~4人のグループに分かれ、自己紹介ではちょっとおもしろい(そしてちょっと難しい!?)ひとことを伝え合いました。

それは「“共創”と聞いて浮かぶイメージを何かにたとえるならば」。

今日のテーマは能登町の未来を共に創っていくためのヒントを得ることですが、そもそも参加者がそれぞれ考えている“共創”とはどんなものなのでしょうか。辞書的な言葉の定義ではなくそれぞれのイメージを出し合うため、色や音、動物など、なんでもいいのでたとえてみることになりました。

能登町役場・地域戦略室の大澗さんは、「わたしにとっての共創は、初めはピアノの連弾みたいなイメージでした。楽しいけれど、間違えられない緊張感と背中合わせ。でも今年度ののと未来会議を通じて、それぞれが自分の楽器を奏でていたら自然と全体がひとつの音楽になるようなイメージに変わってきています」と話しました。まわりが自分の言葉を受け入れてくれる体験を重ねていくうちに、「間違えずにちゃんとしなきゃ」という張りつめた考えが和らいできたのかもしれません。

他にも、「いろいろな植物や生き物がごちゃまぜに楽しく暮らしている森みたい」「高校の文化祭のよう」「ジグソーパズルのピースを持ち寄って完成させるみたいな」など、いろいろなイメージが出てきました。共通するのは、一つ一つの要素は独立した存在として意味を持ちつつも、それらが組み合わさると独立していたときとは違う・新しい・大きな・楽しいものに変化する、ということでした。

 

▼未来の共創を考えるために改めて…能登町について

さて、“共創”という言葉のイメージが少し見えてきたところで、未来を考える舞台となる能登町について、改めて能登町役場・地域戦略室の灰谷さんから話されました。

能登町は、縄文時代から人びとが定住したとされる海と山が近い土地、満天の星空、寒ブリをはじめとする海の幸、いちごやブルーベリーなどのフルーツ、集落ごとの特徴的な祭り、ユネスコ無形文化遺産に指定されている「あえのこと」や「あまめはぎ」、日本酒やいしり(イカでつくられた魚醤)といった発酵文化など、キーワードが次々あふれてくるほど豊かな自然と食と文化の資源に恵まれた町。しかし一方で、25年後には人口が半分以下になると推計されるほどの急激な人口減少が進んでいます。

「未来のことは誰にもわからないですが、比較的確かな予想とされるのが人口推計です。25年で半分、厳しい状況ですよね。そんななか、どのように能登の暮らしを創り受け継いでいくのか。数字だけ見たら“無理ゲー”ですけど、その無理ゲーにもワクワクできる要素が能登の資源にはあるんじゃないかと思っています」と灰谷さん。

「のと未来会議は、対話という手法を使って共創を生み出し、無理ゲーにワクワクしながら知恵を絞るプレイヤーをつくっていきたいという場です。本当は、この第4回はみなさんに能登町に集まっていただいて直接話をしたかったのですが叶わなかったので、次に来ていただける日のために『のと未来会議の参加者が創る能登町MAP』を作りました。

これを目印に能登を深く知ってほしいですし、みなさんが発見した能登町を書き加えてMAPを育ててくれると嬉しいです」

トーク動画は◆こちら◆ 

(グラフィッカー:石川恵理)

 

ストーリーテリング:能登町の中と外から未来を創り始める3人より

話題提供の時間では、第1回~第3回でもファシリテーションサポートとして力を発揮してくれた大学生の”みかぽん”こと岡﨑未栞さんと”こでらっち”こと小寺皓太さん、そして鍛冶屋という仕事を舞台に「共創」を実践している干場健太朗さんが話をしてくれました。

 

みかぽんとこでらっちが能登町と出会ったきっかけは、2020年2月に企業が主催したフィールドワークプログラムに参加したこと。能登町を訪れて聞き取り調査を行い、町の課題解決を目指して「リモートワーカーの誘致」という事業を立案しました。本格的な事業化に向けて動き始めたところで新型コロナウイルスの影響により活動は中断してしまいましたが、その後も能登町役場・地域戦略室の灰谷さんの呼びかけでオンラインで町内の高校生と対話をしたり、運営メンバーとしてのと未来会議に参加したりと能登町への理解を深めてきました。

 

距離を乗り越えるには対話しかない

「今度こそ能登に行けそうと思ったらやっぱりコロナで行けない、ということが何度かあって、わたしたちは結局2020年の2月一度きりしか能登を訪れたことがありません。

それでもなにか能登と関わっていたいと思ったとき、取れた手段はオンラインでの共創でした。一度も直接お会いしたことがない人とオンラインで話をする機会も多くありました」とみかぽん。

 「でも、わたしの中には、『共創』とは顔を合わせて、同じ場所にいて、何かをいっしょに生産するというイメージがありました。直接能登に行けないと、能登の人たちの人柄に触れられなかったり、本当の悩みも読み取りづらい気がする。これって共創になるのかな?初めは葛藤がありました。」

しかし、その葛藤は「つなぎ役になってくれる人の存在」「オンラインでの空間を共有したこと」「とにかく対話すること」で徐々に解消していったといいます。

「能登町役場の灰谷さんは2020年2月のフィールドワークで直接お会いしたあとも、活動を呼びかけてくださったり、わたしたち学生から提案したことを真剣に検討してくれました。そんな灰谷さんがつなぎ役になってくれることで、初めての方とオンラインで話すときにも安心感がありました。

また、同じ場所にいられなくても、グラフィックレコーディングやオンラインボードmiroで話したことが可視化されることで、『同じものを見ている、同じことを話せている』という感覚が強くなりました。

それでもやはり、オンラインでは物理的に同じ場所にいて時間を過ごしていたときのような『なんとなく』『雰囲気で』感じとっていたものには頼れないということも実感しました。オンラインでは、とにかく対話することでしか何かを生み出すことはできない。逆にオンラインでも、対話すれば離れていることを乗り越えられる、と感じたことは大きな学びでした。」

 

足りないものも補い合うような共創へ

一方、こでらっちにも能登での活動を通じて「共創」に関する考えの変化がありました。

「能登と関わる前に僕が持っていた共創のイメージは、『何かしようとする人の能力と地域の特性がかけ合わさったところで起こるもの』でした。強み同士のかけ算ですね。でもこれって、地域そのもの、全体に目が向いていないようにも思っていました。

能登町での共創に関わるうちに、地域のいいところだけでなく、足りないところにも目を向けて補い合うような関係性を知ることができました。灰谷さんがよく『まずは能登町のファンになってもらう』とおっしゃっていたのですが、ファンからスタートし、地域を好きな気持ちを前提に対話すること。そのことで、ただ欠けているところを指摘しあうようなギスギスした批判の応酬ではなく、埋めるものを持ち寄るような多彩なものへと共創のイメージが変化していきました。」

ゲストスピーカーのトーク前半グラフィック (グラフィッカー:田中友美乃)

 

事業とはそもそもお客様との共創の積み重ね

続いての話題提供者は、能登町宇出津で鍛冶屋「ふくべ鍛冶」を営む干場健太朗さん。年間1万本の包丁を研ぐという干場さんは、自己紹介を兼ねてデモンストレーションに包丁を研いで見せてくれました。

刃が砥石とこすれ合うリズミカルな音、一定の角度を保って包丁を動かす干場さんの美しい所作がZoomを通しても臨場感たっぷりに伝わります。1分ほど研いだあと、軽くつまんで持っただけでペラペラ揺れる新聞紙に包丁をあてると…シャッ!と気持ちよい音を立てて、新聞紙は真っ二つに切れました。

 

その様子を見て「すごい!」「うちの包丁も研いだらあんなふうに切れるのかな?」「包丁研ぎをやってみたい」と賑わうチャット欄。 

「切れる包丁というのは、こんなふうに新聞紙のような薄いものにもスッと入っていくんです。オンラインで実演したのは初めてですけど(笑)、伝わったかな?僕は、このようにお客様の包丁や道具を使えるように手入れしてお金をいただく、ということをなりわいにしています。」

そして干場さんは自身のなりわいの内容とともに、なりわいの中にあった共創について話してくださいました。

「突然ですが、僕には夢があります。それは、全国どこからでもアクセスできる『かじやの窓口』を作りたいということ。包丁や農具・漁具を作ったり修理したりしてみなさんの生活や仕事を支える『鍛冶屋』は昔は全国にたくさんありましたが、今は機械化の波に押されどんどん減り、衰退産業の代表といわれる職業になっています。ふくべ鍛冶はそんななか、僕で4代目。事業をつないできた存在として、残存者・先行者としての役割を果たしていこうとしています。

僕自身は初めから鍛冶屋だったわけではなく、6年前までは能登町役場に勤めていました。母が他界したことがきっかけで先代である父は店をたたもうとしたのですが、店がなくなれば鍛冶屋を必要とする人たちが困ってしまう。そこで僕が継ぐ決心をしました。

ただ継ぐだけではなく、時代に合った新しいサービスをしよう。人口が減っている中、店舗を構えて待っているだけではなかなかお客さんの数は増えません。ここ能登町では高齢化が進み、お年寄りが買い物に困っている地域も多いので、移動販売車で町中を回ってはどうだろうか。そこで、僕は車に山ほど商品を積んで、能登町の193集落すべてを回りました。

ところが、ぜーーーんっぜん売れなかったんです。なんで売れないんだろう?みんな買い物に困っているんじゃなかったのか、なぜ売れないのかと考えながら回っていると、気づいたんです。家の倉庫や納屋には、20も30も、使われなくなった道具が眠っている。世の中にはすでにモノがあふれていて、新しく買う必要がないということに。

さらにお客様の話をよく聞いてみると、古い道具の中には使い方も手入れ方法もわからないものがある、また、修理に出してもうまく切れるようにならない、そんな悩みのほうがたくさんありました。これは能登町が特別なのではないはずで、全国見渡せば同じような悩みが潜んでいて、修理のマーケットは大きく広がっているんじゃないかと可能性を感じました。

いま『かじやの窓口』は、奥能登2市2町で30か所のお店や施設に置かせてもらった窓口と個人宅を月1回回って包丁や道具をお預かりして、修理して翌月お返しするという形で展開しています。『かじやの窓口』は、悩みごとを教えてくれたお客様と共創して生まれたビジネスだといえます。

 

もうひとつ力を入れているのが『ポチスパ』というサービスです。店舗や『かじやの窓口』に包丁を持って来れる能登の人は僕が直接受け取れるからいいけれど、遠く離れた人はどうすればいいか?たとえば東京にお住まいの方、包丁の切れ味が悪くなったときどうしますか?

包丁を自宅で包んで、カバンに忍ばせ、地下鉄を乗り継いで、繁華街にある道具屋さんに研ぎに出す…想像しただけでもヒヤヒヤしますよね。包丁はそもそも持ち運ぶものではないですから。

包丁は本来、手入れすれば20年は使える道具です。切れなくなったからと新しい包丁に買い替えるのではなく、今ある道具を手入れしながら長く使うという文化を、僕は大切に継承していきたいと思っています。そのためには、必要なときにストレスなく包丁を研ぎに出せなければいけない。そこで、Webサイトから注文ボタンをポチッとすれば箱が届き、その箱に包丁を入れてポストに投函すれば1週間後にはスパッと切れるようになって返ってくる『ポチスパ』というサービスが生まれました。これも、繁華街で包丁を持ち歩いてヒヤヒヤした体験を教えてくれた都会の友人との共創といえるでしょう。」

 

事業協力者との共創で、よりたくさんのお客様の要望に応える

「かじやの窓口」や「ポチスパ」を利用するお客様が増えていって、ふくべ鍛冶にはたくさん包丁研ぎの依頼がくるようになりました。次なる課題は、このたくさんの依頼にどう応えるか。干場さんは続けます。

「包丁ってどの家庭にも必ずあるものですよね。病院や学校の給食室にもある。全国で1億3000本は存在していて、そのほとんどが研がれていない状況なんです。

一方、一人の職人が研げる包丁の数は1年に1万本程度。そして職人の場合そこに至るまでの養成期間も必要です。そこで、いま新たに品質もスピードも安定した『全自動包丁研ぎ機』の開発に挑戦しています。これも、工作機械会社さんとの共創ですね。共創によってまだこの世に存在していないものを作り出そうとしています。

このように、事業を育てる中で共創は自然と行っていることだと思います。そして、共創することが目的なのではない。その先に叶えたいお客様の要望があって、その実現のために取れる手段が共創なのだと、事業者としては感じています。社会や時代に合った取り組みをするためには、共創は必ずやっている手段だと思います。」

ゲストスピーカーのトーク後半グラフィック (グラフィッカー:田中友美乃)

 

ゲストスピーカートーク全体動画は◆こちら◆ 

 

 

振り返り:これからの時代における共創の方法は?

休憩後、参加者全員がもう一度小グループに分かれて「これからの時代の共創にはどんな方法があるか」について対話する時間が持たれました。

ゲストトークで得られたヒントを共有しつつも、難しいテーマに沈黙が流れるグループも。そんな中、あるグループでは、「インターネットによって、自分が住む地域を超えて人とつながれるようになったことから、共創は『〇〇しなければならない』よりも『〇〇したい』を原動力にできるものへと変化したように思う」という声や、「実行する以外にも、見守るという方法を共創のひとつとして認められるようになった」という声など、共創をポジティブに捉える意見が聞かれました。

グループにはグラフィッカーが入り、対話の内容をグラフィックにまとめました。

グループ①での対話(グラフィッカー:出村沙代)

 

グループ②での対話(グラフィッカー:後藤 恵理香)

 

グループ③での対話(グラフィッカー:田中友美乃)

 

グループ④での対話(グラフィッカー:石川恵理)

 

最後に今日の感想を参加者それぞれがJamboardに書き込み、チェックアウトとなりました。

 

 

今回の対話の内容は、グラフィッカーがライブで書き留めたものも含め全体がオンラインホワイトボードmiroに描かれています。第1回から第4回まで、回を重ねるごとに参加者の皆さんから語られたことがかき加えられ、miroの世界が広がり、進化してきました。

このレポートを読んでくださったあなたにも、「のと未来会議」の世界の広がりを感じていただけたらと思います。ぜひご覧ください!

 

 のと未来会議2020 第4回の全体像が描かれたグラフィック (グラフィッカー:後藤 恵理香)

 

◆またいつか、「のと未来会議2021」でお会いしましょう

「のと未来会議2020」は今回で最終回となりました。コロナ禍のなかすべてがオンライン開催となる挑戦の多い未来会議でしたが、一方でかつてなくたくさんの運営メンバーが力を合わせた経験にもなりました。

みかぽんのトークにもありましたが、運営メンバーの中には他のメンバーとリアルで会ったことが一度もない人もいます。そんな運営メンバーどうしがそれぞれのできることを持ち寄り、足りないところを埋め合って参加者のみなさんと共に創ってきたのが「のと未来会議2020」。ここにもひとつの共創が具現化されていたのだと思います。

「のと未来会議」は2021年度にも開催を予定しています。そのときにまたみなさんとお会いできることを楽しみにしています。

1年間ありがとうございました!

 

(文/能丸恵理子)