能登町では2018年から、参加者一人一人が「やりたいこと」を主体的に叶えていくきっかけづくりを目指して「のと未来会議」を開催してきました。町民と役場、町外から訪れた参加者が共に未来を描き、対話するプロジェクトです。
3年目となる今年は,コロナ禍のためオンライン開催という新しい形での「のと未来会議」に挑戦しています。
今年度の「のと未来会議」は「わたしたちの未来の暮らしのヒントを見つける」をテーマとして、11月から全4回開催中。今回お伝えする第2回は、町の外から能登町にかかわる共創パートナーや,移住者の視点を借りて能登町を見つめ,感じたことについて意見交換しました。
町の外から、能登町はどう見えているのだろう?中にいるとなんでもないと思っていた意外なことを、魅力に感じる人とは…?
参加者全員が複数の視点を持って「能登町」をとらえる。そんな第2回の様子をご紹介します。
のと未来会議2020 第2回の流れ ▼のと未来会議 開催概要 ▼チェックイン ▼話題提供者ごとに3グループに分かれて対話 町の外から飛び込んで、町の中で味わう能登町の魅力!共創パートナーと移住者の視点 ▼グループでの対話の感想を持ち寄り全体シェア ▼振り返り ▼次回は 1月27日(水)19:00~ オンライン開催です
▼のと未来会議 開催概要
のと未来会議2020 VOL.2「私たちが発見する能登町の魅力 移住者/共創パートナー×能登町」
日程:2020年12月7日(月)19:00~21:30
場所:オンライン会議システムZoom
主催:能登町役場ふるさと振興課地域戦略推進室
プログラムデザイン・進行:玄道優子
グラフィックファシリテーション:出村沙代(株式会社 たがやす)
▼チェックイン:
参加者一人一人が主体的に。ブレイクアウトルームへの移動にチャレンジ
この日も開催時刻の19時には30名以上の方々がZoomに集まりました。前回と同様、能登町内の住民のほか、関東・関西を中心に日本中の方にご参加いただきました。
今回の「のと未来会議」も、ただ一方的に誰かの発信を受け取るだけでなく、参加者みんなが主体的に動き考える場にしたいというコンセプトが変わらずにあります。
そこで、その仕掛けとしてひとつZoomを使って新しい動きを取り入れてみました。前回は運営側がランダムに参加者をブレイクアウトルームに振り分けて自己紹介タイムを持ちましたが、今回はこの「ブレイクアウトルームへの移動」を参加者自らがやってみることに。ファシリテーションサポートの大学生・みかぽんこと岡崎未栞さんが抽選してくれたグループへと移動にチャレンジしました。
(比較的新しい機能なのですが、運営の想定よりもみなさんスムーズに移動できていました!Zoomのバージョンの事情などでうまく移動できないケースもありましたが、その場合もテクニカルサポーターが手伝ってくれますのでご安心を…かく言うわたしも、うまく移動できず動かしてもらいました)
ブレイクアウトルームでのチェックインでは、「日々の自分の暮らしにある魅力3つ」をテーマに自己紹介をしました。自分の暮らす町に引っ越してくる人に、暮らしの魅力を伝えるなら…?
地域特有の文化に注目して魅力を語ってくれる人、学生生活の中で挑戦してみたいことにいくつも出会える喜びを他の人にもすすめたいという大学生の方など、それぞれの生活に根差したリアルな言葉で暮らしの魅力が語り合われました。
▼話題提供:
町の外から飛び込んで、町の中で味わう能登町の魅力!共創パートナーと移住者の視点
続いて、能登町の魅力を発見する手がかりとして、町の外から能登町と関わる共創パートナー、移住者から見た能登の良さは何か、という話題提供の時間です。
1人目は、東京都で金融機関に勤めながら、プロボノ団体:NPO法人ZESDAの理事として3年間で20回以上能登町を訪れ、農家民宿群「春蘭の里」のPR活動に関わる瀬崎真広さん。
2人目は、3年前に東京都から能登町宇出津へ家族で移住し、妻・母・海洋教育の研究員など複数の役割をもって暮らしている能丸恵理子。(このレポートのライターでもあります)
3人目は、大学のプログラムで能登町小木を訪れたのを機に能登町を好きになり、フィールドワーク終了後も祭りや「イカす会」に関わる、自称”能登にいちばん来てる大学生代表”の松本伊織さん。
参加者は3人の中から話を聞いてみたい1人を選び、先ほどと同じように自分でブレイクアウトルームへと移動していきました。
それぞれの部屋で、 どんなストーリーテリングと対話が行われたのでしょうか…?
保守系サラリーマンが人生最高のリーダーと出会ったのは、東京でなく能登だった
ブレイクアウトルーム1ではNPO法人ZESDA理事の瀬崎真広さんから話題提供がありました。
都内の金融機関に勤め、ときに「エリート」とも呼ばれる立場でありつつも、同時に焦りや危機感を持っていたという瀬崎さん。
「僕も含め“都会の優等生サラリーマン”には、命令されたことには100点満点の答えを出せるけれども、自分でリスクを取って、自分でゼロから切り拓いて何かを生み出して成功した経験がない。オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授が『今存在している仕事の半分は10~20年後にはなくなる』という論文を発表し話題になりましたが、銀行員も、AIに代替されてなくなると予測されている職業のひとつです。そして自分の日々の仕事を振り返ったとき、できることって書類作成と社内調整だけなんじゃないか、リーダーシップや創造力が圧倒的に不足しているんじゃないかって、すごく危機感を抱いていたんですよね。」
しかし瀬崎さんは、いまやメディア出演や企業での講演を行うなどエネルギッシュに活躍されています。
「銀行員という”集団の中の一人”でいた僕は、能登町と出会えたことで“個の自分”と向き合い変わっていけたんだと思います。」
瀬崎さんが理事を務めるプロボノ集団・NPO法人ZESDAは、奥能登の農家民宿群「春蘭の里」でプロモーション支援を中心とした活動を行っています。webサイトやPR動画の充実をはじめ、英語版webサイトの作成や外国人旅行客の取次を通じて年間100名以上の外国人の訪問につなげたり、都内大手企業のフィールドワークプログラムの開催に結び付けたりと、「春蘭の里」に新たな光を当て大きな成果を上げてきました。
瀬崎さん自身も、このプロモーション支援を通じてそれまで経験のなかったwebサイト制作や動画制作に取り組み、新しいスキルを得て成長を実感することができているといいます。
「能登町との関わりのなかでもいちばん衝撃が大きかったのが、『春蘭の里』実行委員会事務局長の多田喜一郎さんとの出会い」と瀬崎さんは語ります。
多田さんは「春蘭の里」実行委員会を立ち上げたリーダー。現在49ある農家民宿の第1号は多田さんの自宅でもあります。瀬崎さんはそんな多田さんの動きに、都会で働く日々では出会ったことのないリーダーシップと創造性を感じたのでした。
「多田さんは常に“形にする”ことを意識している人。住民の方々と関わる中でも、最終的に何のためにどうしたいかという形を考えながら行動しておられ、接し方の押し引きも絶妙。多田さんの考えに触れながら、僕も『春蘭の里』のために自分に何ができるかを常に考えて、スタッフや地域の方々と交流できるようになってきたと思います。」
能登町との関わりを通じて、瀬崎さんはさらに「人と関わることに必要以上に警戒心を持っていた自分に気づけた」と続けます。
「金融の仕事をしていると、自分の判断が誰かの生死を左右するかもしれないという重い局面があるんですよね。その影響か、仕事以外の場面でも人付き合いの面倒を避けたい、人とも深く関わらないようにしておきたい、っていう気持ちが知らず知らずのうちに積もっていたんだと思います。そんなときに能登に来て、先ほど話に出た多田喜一郎さんと奥様とお話ししたら、二人ともとてものびのびしてらしたんですよ。すごく自由で、僕も子供の頃の自由だった心がよみがえったような気がして。僕、あれこれ考えすぎなのかもって気づかせてもらえました。」
ここまでの瀬崎さんのお話に圧倒されて、ファシリテーターのみかぽんからは「こんなすごい活動、瀬崎さんにしかできないのでは?瀬崎さんが特別なんじゃないですか?」という質問も飛び出しました。
「僕は、僕みたいな人たーっくさんいると思ってます。ただ動き出すきっかけがないだけ。これからの活動では、そのきっかけづくりを仕掛けていきたいとも思っています。昔からの文化や決まりがストッパーになって動き出せずにいる人たちが、一歩踏み出せるようなきっかけづくり。自分が能登町と関われて得られたことを味わってくれる人を増やしていきたいし、さらに上を行く成功事例となる人にも現れてほしいです。」
グループ1のトーク動画は◆こちら◆
(グラフィッカー:國村友貴子)
この町の一員になったからには、能登でしかできない仕事、能登だからできる教育にこだわりたい
ブレイクアウトルーム2では、家族で東京から能登町に移住した能丸恵理子から話題提供をしました。
約3年前に、夫の転職に伴って東京から能登町宇出津へと家族へ移住した能丸。夫の妻であり、子どもたちの母であり、そして“ソロ活動”と称してひとりの働き手としての役割も持っています。
「複数の役割を持っているのは、妻や母という役割が不満だとか放棄したいからではありません。夫が町の中で誠実に仕事をしてくれることで町の方々から家族ごと信頼してもらえていると思うし、子どもたちもそれぞれ小学校や保育所で人間関係を築いてつながりを引き寄せてくれる。家族がわたしをこの町に根付かせてくれていると感じます。でも、『夫の妻』『子の母』という誰かにくっついた存在だけでいると、何かしんどいことがあったときに家族のせいにしてしまいそうだと思ったんです。それは夫もわたしも嫌だったから、『もしわたしが単身だったとしても能登で生きる意味を考えよう』ということは、移住検討の早い段階から夫と話していました。」
単身だったとしても能登で生きる意味とは、言いかえると能登で自分なりにどんな仕事ができるのかということでした。
「仕事から得たいものは何だろうと考えたとき、わたしの場合はお金・学び・やりがいの3つでした。東京で10年以上会社員として働いていたので、急に収入がゼロになると想像するとすごく焦ったんです。だから自分がそわそわしないだけのお金は稼ごう。それに、学びがないと飽きてしまうし、個人として人や社会の役に立ちたいという思いがあるのでやりがいも譲れない。でも、会社員時代はなんとかこの3つを1つの会社の仕事でまかなっていましたが、能登に来てすぐにこの3つを満たせるような仕事をわたしは見つけ出すことも作り出すこともできませんでした。」
それなら、この3つを別々の仕事から得てもいいんじゃない?と考えるようになります。結果的に、「お金」と「学び」の部分は、どこに住んでいてもアウトプットの質が変わらない在宅での教材編集・執筆業をすることに落ち着きました。あとは「やりがい」の部分。
「『能登でしかできない、やりがいのある仕事』として出会ったのが能登里海教育研究所でした。もともとわたしは大学院で生物学を専攻していて、海の生き物が大好き。前職の会社にも、子どもたちに科学の楽しさを伝える仕事がしたいと思って入社していました。そうしたら、能登町には金沢大学の臨海実験施設があって、さらに町としても海洋教育に取り組んでいる。それを専門的に支えている能登里海教育研究所がある!!金沢大学臨海実験施設に学生時代から知っている先輩がいらしたこともあり、大興奮で取り次ぎをお願いして、なかば押しかける形でいま研究員として小中学校での海洋教育に取り組んでいます。」
能登の魅力を考えたとき、多くの人が真っ先に思い浮かべる食や観光はもちろんですが、教育の視点からも能登にしかないとびきりの価値があるという気づきがありました。
「能登では、教科書や図鑑で学ぶような自然現象を生活のすぐ隣に体感することができます。海辺を散歩すると、季節によって出会う生き物が違うことに気付いたり。海の向こうを見通すと、雲の下では雨が降っているけど、雲がないところは晴れているのがわかったり…。子どもたちもそうやって気づいたことをどんどん吸収していくのがそばで見ていてよくわかります。海洋教育は、町の子たちをお魚博士にしようとか、海の専門家にしようと目指すものではありません。ただ、海という題材を通して深く考えることで子どもたちの思考力や観察眼が養われているととても感じます。この町の自然は教育資源。この土地にいるからこそ受けられる教育に関わることができて、とてもよかったと思います。」
グループ2のトーク動画は◆こちら◆
(グラフィッカー:後藤 恵理香)
僕が能登に行くことだけが、能登とつながる手段じゃない。大学のプログラムから始まった縁がつなぐ今
ブレイクアウトルーム3では東京大学3年生の松本伊織さんから話題提供がありました。
大学1年生のとき、東京大学フィールドスタディ型政策協働プログラムがきっかけで能登町小木を訪れた松本さん。
「そのプログラムを知ったのは入学して1~2週間のこと。大学に入って新しいことにチャレンジしたいと思っていたところだったので手を挙げました。日本全国の中から能登を選んだのは、海があっておいしい魚が食べられるのかなという単純な理由です(笑)。それと、僕自身地元の祭りが好きだったので、『祭りに参加できます』とあったのにも惹かれました。」
プログラムのミッションは「地域のみんなが輝く舞台を作る」。イカ漁が盛んな小木地区に夏の1か月間滞在し、イカに対する思いや町おこしイベント「イカす会」について地域の方にインタビューを重ね、プログラムの最終発表では、「若者が輝く舞台を実際に作る」として「イカす会前夜祭」企画をプレゼンしました。
「小木地区では、高校を卒業すると地区の外に出て行く若者が多く,高校卒業は大きな重みをもった人生の節目です。そこで、翌年に地区を離れる予定の高校3年生の子たちと,太鼓の演奏など活躍する姿を見てもらえる前夜祭を考えました。」
滞在期間の終わりごろには地域の方々とどんどん親しくなり,インタビューなどで知り合った人からプログラムの活動と関係なく声をかけてもらえるように。そして、プログラムが終了した2019年以降も能登を訪れることになる人とのつながりが築かれていきました。
「フィールドスタディ型政策協働プログラムでご縁のできた能登町役場職員の灰谷さんから声をかけていただいて、3月ののと未来会議で『大学生がどうして能登に来るようになったのか』というテーマで話をする機会をもらいました。
他にも、地域の方が5月初めの『とも旗祭り』に来いよって誘ってくれたり、5月末には『イカす会』に来たりと、3月にプログラムが終了してから立て続けに3回も能登を訪れたんです。
そうしたら、ちょうどそのころ僕は成人してお酒が飲めるようになっていたので、地域の方とお酒を飲んでたときに『次は9月の祭りも来いよ』って言ってもらえて、『よしもうこれは行くしかない!』って(笑)。2020年はコロナの影響で祭りに参加することはできませんでしたが、それでも顔だけは見せに能登を訪れています。」
松本さんがこうして能登との絆を深めることになった理由で大きいのは、「会おうよって言ってくれる人がいること」だといいます。
「学校生活が忙しくてなかなか能登に行ったり能登のことを考えたりできない時期があったんですが、能登で知り合った人が『今度東京に行くから会おうよ』って言ってくれたんです。久しぶりに会えると嬉しくて、ああ、次また能登に行きたいなって。
僕が能登に行くということだけが、能登とつながる手段ではないんですね。能登の人が会いに来てくれたり、こうしてオンラインでも話ができたりすることが、これからももっと能登とつながっていたいっていう思いを大きくしています。」
「おいしい魚が食べられるかも」というきっかけで能登にやってきた松本さんですが、その後の能登とのつながりの深さは単なる旅行者のそれとは大きく異なります。
「僕は東京での暮らしも好きだけど、行くと穏やかな空気で『おかえり』って言ってくれる能登も好き。心の中に両方の空間を持って、いいバランスで過ごせることをすごく幸せだなと思います。それが叶うのは、能登で素晴らしい人たちと出会えたおかげです。
もしかしたらこれは能登に限ったことではないのかもしれないとも思うんですけど…。でも、祭りのヨバレ(※祭りの日に、親戚や友人を大勢自宅に招いてもてなすこと)で『次の祭りも伊織にここにいてほしいからまた来いよ』と何度も言ってくれて、次の祭りで会えると『また会えて嬉しい』って言ってくれるんですよ、おっちゃんが(笑)。そういうところは、他で出会ったことはないですね。」
グループ3のトーク動画は◆こちら◆ (グラフィッカー:石川恵理)
▼振り返り:
それぞれが自分の暮らしに今日の気づきを持ち帰る
ブレイクアウトルームから戻り、各グループで得た気づきや感想を全員でシェアする時間が持たれました。
話題提供者の3人からも感想が話され、能丸の「東京にいたときマンション林立エリアに住んでいたけれど、知らない人の家が何百軒あってもわたしにとっては砂漠と同じだった。それなら、人口が少なくても顔のわかる人が近くにいる能登のほうが砂漠じゃない」という発言に、瀬崎さんが「感銘を受けて自分が何しゃべろうとしたか忘れてしまった」という一幕も。
そのあと、Jamboadというデジタルホワイトボードにふせんを用意し、「どんなところに能登町の魅力を感じたか」「どんなところに話し手の暮らしの魅力を感じたか」を各自書いていきます。
みなさん筆が(タイピングが?)止まらずすごいスピードで入力されていて、運営が新しいふせんを準備するのが間に合わないほど!
そして、チェックインを行った参加者どうしもう一度集まり、最後に今日全体の感想を伝え合ってチェックアウトとなりました。
今回の対話の内容は、グラフィッカーがライブで書き留めたものも含め全体がオンラインホワイトボードMiroに描かれています。(上でパートごとにご紹介した画像もMiroからの抜粋です)
今後、回を重ねるごとに参加者の皆さんから語られたことがかき加えられ、Miroの世界がどんどん進化していきます。
このレポートを読んでくださったあなたにも、「のと未来会議」の世界が進化していくのを見守っていただけたらと思います。
「のと未来会議」はまだまだ続きます!
興味を持って、実際の「のと未来会議」にも参加してみようかなと思った方はぜひ第3回にお越しください。次回は能登町の”あの”祭りに深く関わる方々が登場してくださる予定・・・!?
能登町内のみなさんはもちろん、オンライン開催ですので遠方にお住まいの方もお待ちしていますよ!
のと未来会議2020 VOL.3 現在編「能登町のワクワクする人」
日程:2021年1月27日(水)19:00~21:30
場所:オンライン会議システムZoom
(お申込みの方にURLをお送りします。くわしくはこちらのFacebookイベントページをご覧ください。)
のと未来会議2020 第2回の全体像が描かれたグラフィック。(グラフィッカー:田中友美乃)
(文/能丸恵理子)