能登町では2018年から、参加者一人一人が「やりたいこと」を主体的に叶えていくきっかけづくりを目指して「のと未来会議」を開催してきました。町民と役場、町外から訪れた参加者が共に未来を描き、対話するプロジェクトです。
3年目となる今年は,コロナ禍のためオンライン開催という新しい形での「のと未来会議」に挑戦しています。
今年度の「のと未来会議」は「わたしたちの未来の暮らしのヒントを見つける」をテーマとして、11月から全4回開催中。今回お伝えする第3回は、「能登町のワクワクする人」に集まっていただき、町にとってかけがえのない「あばれ祭」に懸ける思い、暮らしの中で祭りがどんな意味をもつのか、次世代に何を受け継ぎたいかをお聞きし、参加者が感じたことについて意見交換しました。
この日の夕方、発信会場となる能登町役場会議室はいつもに増してワチャワチャと…のと未来会議史上最多のゲストスピーカーの方々にお話しいただくため、機材やアクリル板のセッティングに勤しんでいます。
一体どんなお話が繰り広げられるのか!?参加者全員に能登町の“熱”が伝播した、第3回の様子をご紹介します。
のと未来会議2020 第3回の流れ ▼のと未来会議 開催概要 ▼チェックイン ▼ミニワーク:次の世代にも体験して欲しいこと ▼ストーリーテリング:あばれ祭を支える人びとと暮らし ▼振り返り:次の世代にも体験して欲しいことへのヒントは? ▼次回は 3月6日(土)19:00~ オンライン開催です
▼のと未来会議 開催概要
のと未来会議2020 VOL.3「能登町のワクワクする人:あばれ祭を支える人びと」
日程:2021年1月27日(水)19:00~21:30
場所:オンライン会議システムZoom
主催:能登町役場ふるさと振興課地域戦略推進室
プログラムデザイン・進行:玄道優子
グラフィックファシリテーション:出村沙代(株式会社 たがやす)
▼チェックイン&ミニワーク:
自分がこれまでの人生で体験したことで、次の世代の人にも体験して欲しいことはなんですか?
この日は前回までと同様の能登町内、関東・関西からの参加者に加えて、北海道や東北、四国地方からも初めてのご参加があり、これまででいちばん多くの方にご参加いただきました。
オリエンテーションのあと3~4人のグループに分かれて自己紹介をし、今回はミニワークに挑戦。
今年ののと未来会議のテーマは「能登町の共創から、未来の暮らしのヒントを見つける」こと。このあとゲストスピーカーの方々にお話しいただくあばれ祭は、暮らしの中にある「未来へ受け継ぎたいものの象徴」ととらえることができるでしょう。
そこで、お話を聞く前に「自分がこれまでの人生で体験したことで、次の世代の人にも体験して欲しいことはなにか?」ということにひとりひとり思いを巡らせてもらいました。そのあと、オンラインホワイトボードmiroに用意されたふせんにそれぞれのエピソードを書き込んでいきます。
miroへのアクセスや書き込みは問題なくできるかな、という運営サイドの心配を跳ね除け、みなさんどんどん書き込んでくれました。5分程度でmiroには50枚以上のふせんが!
ひとつひとつじっくり読みたい気持ちもありますが、書き込まれたものを味わう楽しみは少し後にとっておきましょう。
いよいよ、ゲストスピーカーの登場です。
▼ストーリーテリング:あばれ祭を支える人びとと暮らし
”祭り”は能登の集落ごとに脈々と受け継がれてきた、暮らしになくてはならないもの。
しかし、2020年は新型コロナウイルスの影響で、能登の祭りという祭りが中止になりました。宇出津地区のあばれ祭も例外ではありません。その喪失感は「自分の中でまだ令和2年が終わらない」とおっしゃる方もあるほどです。
ただ、できなかったからこそ、これまで当たり前で気づいていなかった大切な思いを新たに感じ直すこともできるのではないでしょうか。そこで、今回はあばれ祭を支える八坂神社奉賛会役員の方々にお話を伺っていきます。
諸角 浩司さん: あばれ祭情報発信・案内人。Youtubeやwebサイトで祭りの魅力を発信中。 町分 浩さん : 宇出津でただ一人のキリコ職人(大工)として、祭りで躍るキリコを作る。 小浦 肇さん : あばれ祭のみどころである「あばれ神輿」の担ぎ手経験者。 本谷 順一さん: 今日のゲストスピーカーの中で、最も長く奉賛会役員を務めている。 田代 信夫さん: 能登町参事兼ふるさと振興課長であり、観光協会事務局長。今回の進行役。 灰谷 貴光さん: 能登町ふるさと振興課地域戦略室。進行サポート。
あばれ祭の由来といま
あばれ祭の由来は今から約350年前のこと。宇出津の町に悪い病気が流行り、人々を困らせます。すると、当時の町の長の夢枕に「京都の八坂神社より神様をお迎えして祭りをしなさい」というお告げがありました。それにしたがって神様をお迎えし盛大な祭りを行ったところ、疫病が鎮まったのです。ここから宇出津では毎年7月に祭りが行われることになりました。
このときお迎えした神様が大変荒々しい神様で、神輿を手荒く扱えば扱うほど喜ばれることから今のあばれ祭のスタイルがあります。「よく誤解されるけれど、壊すことが目的ではないんですよ」と本谷さん。
近年は7月第一金曜・土曜に行われているあばれ祭。2日間どのようなことが行われるのでしょうか。田代さんに概要を説明してもらいました。
「あばれ祭では“神輿”と“キリコ”という2つのものが動きます。
宇出津には港をはさんで白山神社・酒垂神社という2つの神社があり、神輿も白山神社方・酒垂神社方と2台の神輿が出ます。
神輿は1日目、八坂神社で御神事を行ったあとそれぞれの氏子のもとへと巡行します。そして2日目、午後9時から酒垂神社方の神輿が、午後10時から白山神社方の神輿が動き始め、八坂神社をめざす道中で神様がお喜びになるよう、道路にたたきつけたり、転がしたり、川や火の中へ投げ込んだりと手荒く扱うのです。
そして深夜0時に酒垂神輿が、深夜2時に白山神輿が八坂神社に入宮となります。
一方キリコは1日目、午後2時ごろから各町内より動き出し、白山神社方面へ集結します。そして午後9時からは大たいまつの周りをキリコが大乱舞するクライマックス。その後キリコはいったん各町内へ帰っていきます。
2日目も午後2時ごろから、各町内のキリコが今度は酒垂神社方面に集結。そして午後9時から2台の神輿が八坂神社に向かうお供をします。キリコとは、神様のお供をする巨大な灯篭なんですね。神輿が入宮したあと、キリコは各町内へと帰っていきます。そのころ時刻は午前3時か4時になっています。」
キリコが職人から担ぎ手へと引き継がれるとき
写真で見てもその迫力に圧倒されてしまうキリコ。どのように作られているのか、キリコ職人である町分さんにお聞きしました。
「まず大きさは高さが6メートル弱、幅1メートル60センチ、みんなが担ぐ棒の前後の長さは11メートルほど。200くらいのパーツでできていて、重さは2トンくらいですかね、実際測ったことはないけど。
作っている木材は主にアテ。能登ヒバともいいます。それからアカタブ、スギ、ホウノキ、ケヤキを使い分け、最も負担のかかる柱や、お囃子が乗る台の脚にはアテの中でも特別堅いカナアテという材木を使っています。
制作期間は7か月くらい。費用は…太鼓などの鳴り物は除いて1基400~500万円くらいかな、言いにくいですけど(笑)」
キリコ職人の家に生まれ、三代目となる町分さん。ご自身がキリコ職人になったのは「宿命」と語ります。
「いやもう、最初の頃は大工としての経験も足りないしわからないことだらけでつらかったですよ。でも、本祭りの前日、新造キリコの引き渡しをしたあとは…最高やね!(笑)7か月間ずっと思い込めて作ってきたキリコが、町内へと担がれてく後ろ姿見たらもう、グッとくるよ。自分が手間をかけて作ったものですごくたくさんの人が喜んでくれて、いいことしたなあって。」
祭りの前が一年でいちばん痩せとるよね!と言われて笑う町分さん。
宇出津の人だけでなく、周りの人の力があって初めて動き出すキリコ
町分さんが作ったキリコは、宇出津中の町内から動き出します。諸角さんからその様子を教えていただきました。
「あばれ祭に参加する宇出津地区には約1300世帯が暮らし、40の町内に分かれています。近年少子高齢化の影響でキリコを出さなくなった町内がありますが、だいたい1つの町内から1基。普通のキリコと、ひとまわり小さい子どもギリコもあわせると約40基のキリコが2日間出ます。
さっきの町分さんの話やと1基500万やから、40基でざっと2億円が動き回るわけや(笑)」
…にっ、2億円が躍る祭り…!
(このあたりからゲストスピーカーの方が語る驚きの数字を文字に残してくださる方が相次ぎ、Zoomのチャット欄がかつてなく盛り上がっていました!)
「キリコは成人男性40~50人分の力がないと動きません。宇出津の中に住んでる人の手だけでは動かないんです。しかも町内によっては十数世帯からなる小さなところもある。
それがどういうわけか、出すぞというその時になったら50~60人の人が集まってきてキリコが動くんです。町内の人の親戚や友達、そして宇出津をなんか気に入っていっつも担ぎに来てくれる人たち。いま関係人口という言葉がありますが、十数軒の小さな町内にも、その何倍もの関係人口がいてみんなに助けられている、と感じる瞬間です。」
“神様とつながる”あばれ神輿
一方、神輿はどのようなものなのでしょうか。
「担ぎ棒の長さが6メートル、幅2メートル40センチ、高さが鳳凰の飾りも含めて1メートル50センチくらい。重さが約800キロあります。これが海や川の中に入って水分も含むと900キロ近い重さになるでしょう。それを基本10名の担ぎ手で、入宮までの道のりが4キロ。一人あたり80キロを担いで、火の中水の中ですから大変過酷です。」と本谷さん。
小浦さんは、担ぎ手として神輿を扱う神聖さについて教えてくれました。
「そもそも祭りは神様と一体になるための行事ですよね。あばれ神輿の出発前、祝詞を上げていただいているときは、まさに自分に神様が降りてきたように気持ちが高ぶります。
キリコの場合は町外の人たちにも担いでもらいますが、神輿は違います。神輿の前後に紫色のたすきを掛けた『むらさき』と呼ばれる責任者がいますが、この責任者に認められないと神輿は担げません。年齢順でもなく、願い出た順というわけでもない。日頃の地域への貢献や祭りへの関わりが認められてようやく、担ぎ手の証である黄色いたすきを授けてもらうことができるのです。」
「最後に神輿が八坂神社に入宮して、神事が終わって宮から下りるとき。階段を一段一段踏みしめる感触と、八坂神社の周りにいたキリコが町内へ帰っていく後ろ姿、笛と鐘と太鼓の音を聞くと、ああまた無事に新しい一年が始まるんだなと安心する」と、本谷さんも神様といちばん近くにつながる神輿の担ぎ手としての思いを振り返りました。「だから祭りがなかった令和2年は、自分の中でまだ切り替えができていない」とも。
ところで本谷さんにはもう一つ祭りで大事なエピソードがあるそうです。田代さんに「恋の火の粉」と話を振られて照れる本谷さん。
「私の妻はもともと東京で働いていて、輪島を旅行中にあばれ祭があると知り、宿を変更して宇出津へ観光に来ました。そこで私と出会って、よかったらまた来いやって言うたら……なんか、嫁に来てしまった」
『なんか』って!(再び盛り上がるチャット欄)
「私の人生に八坂神社の神様が与えてくれた次世代につながる出会い…(照)」(本谷さん)
「いつから縁結びの神様になったんや!(笑)」(ゲストスピーカーのみなさん)
受け継がれてきたしきたりには意味がある
続いて小浦さんから、祭りのルールを受け継ぐことについて語られました。
「2トンもの巨大なキリコが40基も練り歩くのだから、各町内が好き勝手に動くわけにはいきません。キリコを運行するときの順番は昔から言い伝えで決まっています。たいまつを回る順番、入る順番も年寄りから教えられていて、それを自分も今の若い人たちに伝えてきたし、まだまだ伝え続けていかなきゃいけないと思ってます。
祭りのルールには秩序が詰まってる。祭りにはケンカがつきものだけど、ケンカしながらも、ルールを守るところは守る。守らなきゃいけないことは何なのか、そういうことも祭りが伝えていくものだと思います。」
「そうですね。あばれ神輿も、激しく荒々しく神輿を叩きつけたりするけれども、神輿に愛着を持ち、いま神様にいちばん近くにつながっている自覚を持っているからこそできることなんだと先の世代にも受け継いでいきたい。ただ騒いでるだけとは違うんだと。」と田代さんも重ねました。
受け継ぎながら変わってきた、女性と祭りとの関わり
諸角さんは、「あばれ祭には0歳の子どもから老若男女みんなに役目がある」と話してくれました。
「昔は祭りは大人の男だけのもの、というところもあったかもしれないけれど、今はキリコに乗る子ども、笛吹く子ども、太鼓叩く子どもがいて、女性にも存分にキリコを担いでもらえる。また女性はヨバレ(※祭りの日に、親戚や友人を大勢自宅に招いてもてなすこと)の支度も重要な役目ですよね。町の人全員が役割を持って祭りに参加しているんです。
まあ、全員が祭りに参加しているだけに店なんかも閉めてしまうので、観光客の方をおもてなしできていないっていう面はあるかもしれませんね。」
この話を受けて、田代さんは「私が子どもの頃は、あばれ祭といえば男の祭りで、女性は参加していなかったのだけど、女性がキリコを担ぐようになったのはいつごろからなんだろう?」と振り返りました。
「自分の記憶では35~40年くらい前から若い女性がキリコを担ぐのに加わるようになったかな。今では女性も担がないとキリコが上がらんという事情もあるし、祭りが楽しいのは男性も女性も同じかなと。ただ、神輿の担ぎ手は別とは思うけれど…」と諸角さん。
ここで田代さんが、昭和50年にできた能都町音頭(※合併で現在の能登町となる前の町名)の歌詞を紹介してくれました。
「四番に、『あばれ祭に心も勇む 娘も担ぐ大ギリコ』というくだりがあったんです。『娘“も”』とあることから、ちょうどこのあたりの時期から女性も見るだけじゃなくて参加して楽しむようになってきたのでしょうね。」
祭りがない一年がもたらした、祭りがない以上の喪失感
宇出津の人々にとって、全員に役割のある祭りができなかった2020年はどんな日々だったのでしょうか。
キリコ職人の町分さんが「懐が寂しい…」とみんなを笑わせつつ、諸角さんは「中止が決まって初めのうちは祭りがなくなってホッとしたっていう声を女性からよく聞いたし、男性でも祭りがなくてすっきりしたなあと言う人もあった。でも内心は絶対そんなことないと思うんよね。やっぱり心にぽっかり穴が開いたみたいというか…。今年まだ1月やけど、今年の祭りはやるんだろうかって女性の方がもう気にしてるし。」
「日々の生活として振り返ると、祭りがないとメリハリなく過ぎたような気がするね。一年に一度だけの神様とつながる機会を逃したわけやから、残念だったなあ。」と小浦さん。
本谷さんも、「子どものころ、お宮で大きな音がしたりするとばあちゃんに『今年の祭りであばれが足りなかったからだ』と教えられていました。だから祭りができなかったこの一年は、何か災いが起こるのではないかと心配な気持ちがずっとありました。」と、神様とつながる機会を逃したということは、神様に喜んでいただくことができなかったということでもあると振り返りました。
田代さんは、進学や就職で一度町を離れている若者にも思いを馳せます。
「町外に出ている若者にとって、盆正月に帰省しなくても帰ってきたいのがあばれ祭という日でした。生活の節目にあばれ祭があり、久しぶりの家族とのふれあいもそこに重なっています。それがまるごとこのコロナ禍で叶わなくなった。次こそは必ずやりたいという気持ちをいっそう強くしながら日々の生活を送ってるんじゃないかなと思います。」
あばれ祭を支える人びとがこれから受け継いでいきたいもの
最後に、ゲストスピーカーのみなさんは、あばれ祭の未来にどのようにかかわっていきたいと思っているのかお聞きしました。
町分さんは「この先キリコ新造の予定も入ってきているし、準備しとかないとね。それから、娘がキリコ職人を継ぎたいと言ってくれているので、後継者育成ということも考えていきたい」と、まさに次世代へ受け継ぐということズバリの展望を教えてくれました。
諸角さんは、「直近のことを考えるとコロナがどうなるかっていう話になるけど、コロナが過ぎたあとこの先10年20年という長い目で見ると、人口減少のなか、みんなの力を借りても出せるキリコの数は減るかもしれない。一方運営にかかる費用は高くなっていく。そういうことを考えると、運営のやり方もどこかで考え直さないといけないのかもしれないですね。そのときの新しいやり方への橋渡しが自分にできればなと思っています。」と、祭りの行い方に注目。
小浦さんも、「今までもやってきたことだけれど、神輿を入宮まで4キロ運ぶとき、けがのないように安全にという観点は若い人たちに伝えていきたい」と続けました。「さらに、パフォーマンスというか、メインストリートに来たら拍手をもらえるような見せ場ができるようにしていきたいですね。担ぎ手だけでなく、見てくれている人とも一体になっていっそう楽しめるようなあばれ神輿に。」
本谷さんは少し視点を変えて、神社に対する思いを語りました。
「祭りを続けていくためには神社を続けていかないといけない。祭りを後ろから支える、奉賛会の思いをつないでくれる若い人も探していきたいですね。」
なんと、本谷さんは個人でキリコを1基持っているそう!そのキリコが一昨年、天皇の御即位をお祝いする奉祝まつりに出演しました。
「本谷さんみたいな心も体もあばれ祭が大好きな人が、あばれ祭をつないで広げていってくれると嬉しいよね」と田代さんが結び、ゲストスピーカーのトークは幕を閉じました。
トーク動画は◆こちら◆
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ゲストスピーカーのトーク全体グラフィック (グラフィッカー:出村沙代)
▼小グループで振り返りと対話:
「次の世代にも体験してもらいたいこと」にどんなヒントがあったのか?
休憩後、3~4名で感想を共有し合う時間が持たれました。
あるグループでの感想共有のグラフィック (グラフィッカー:石川恵理(左)田中友美乃(右))
さらに、同じメンバーでもう一度対話をします。ここで、最初に全員でエピソードを書き合ったmiroが再び登場!ゲストスピーカーのお話の間に、グラフィッカーの田中友美乃さんと石川恵理さんがすべてのふせんを分類、グラフィックをかき込んで視覚的にわかりやすく整理してくれていました!
(このときのmiroは◆こちら◆からぜひご覧ください。ひとつひとつのふせんの内容も拡大してお読みいただけます)
参加者のみなさんが次の世代にも体験してもらいたいことには、人との交流や、地域の行事・文化、自然の中での体験、新しいことを体験した時の気持ち、などがありました。このmiroを見ながら、今度はテーマを「次の世代にも体験してもらいたいことへのヒント」に絞って小グループで対話しました。
(グラフィッカー:石川恵理)
(グラフィッカー:田中友美乃)
最後に数人の方に今日全体の感想、グループで話し合った内容を共有していただいてチェックアウトとなりました。
今回の対話の内容は、グラフィッカーがライブで書き留めたものも含め全体がオンラインホワイトボードmiroに描かれています。今後、回を重ねるごとに参加者の皆さんから語られたことがかき加えられ、miroの世界がどんどん進化していきます。
このレポートを読んでくださったあなたにも、「のと未来会議」の世界が進化していくのを見守っていただけたらと思います。
「のと未来会議2020」は次回いよいよ最終回!
興味を持って、実際の「のと未来会議」にも参加してみようかなと思った方はぜひ次回ご参加ください。次はいよいよ最終回。オフラインで参加者のみなさんに能登に集合していただく予定でしたが、感染症の状況から、次回もオンライン開催に変更しました。
能登町内のみなさんはもちろん、オンライン開催ですので遠方にお住まいの方もお待ちしています!
のと未来会議2020 VOL.4 「能登町で共に学ぶ」
日程:2021年3月6日(土)19:00~21:30
場所:オンライン会議システムZoom
(お申込みの方にURLをお送りします。くわしくはこちらのFacebookイベントページをご覧ください。)
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のと未来会議2020 第3回の全体像が描かれたグラフィック (グラフィッカー:國村 友貴子)
(文/能丸恵理子)