中十七波さん
東京都出身。高校と大学で絵画を学んだ後、フィジーやオーストラリアへの海外留学を経て「アトリエ黒」を設立。カネボウや東洋紡などのテキスタイルデザインを手がける。27歳のときに夫のインドネシア赴任に同行する形で日本を離れ1年半後に帰国。金沢在住の陶芸家・飯田雪峰氏と出会い、東京と金沢を往復しながら本格的に陶芸を学ぶ。1992年、能登町(旧柳田村)に娘と二人で移住。現在も柳田にあるアトリエ「眠兎」で作陶を続けている。 2018年には句集「寒卵プリンに生まれ変はる午後」も出版した。
娘一人を連れて見知らぬ村へ移住を決意。
幼い頃から憧れていた田舎暮らしをするため、40歳のときに移住を決意しました。今から25年前。九州や四国など暖かい地域を中心に全国の役場に問い合わせたのですが、当時は都会から田舎に移住する人は少なく、母子家庭ということもあってほとんど相手にされませんでした。だったら「みんなの嫌がる場所に行ってみよう」と、寒い地域を探してたどり着いたのが能登町(旧柳田村)。早速「田舎に暮らしたいので空き家を紹介してください」と、絵はがきを書いて役場に送りました。過疎化が進んでいた村に、移住を希望する便りが来るのが珍しかったのか、しばらくすると家の電話が鳴り「遊びに来ませんか?」とのお知らせ。すぐにバイクを飛ばして、当時住んでいた芦屋(兵庫県)から柳田村に向かったのを覚えています。それから何回か通っていると、役場の方から「アトリエがあるので見て欲しい」とお誘いがありました。元々は陶芸家が使っていた建物。わびさびの利いた雰囲気にひと目惚れをして、すぐに移住の準備を始めました。
空家探しにひと苦労。セルフリノベも経験。
そのアトリエにはガスも水道も通っておらず、暮らすことはできませんでした。すぐに家を探さなくてはいけない。でも、空き家はたくさんあるからすぐに見つかるはず。これが失敗でした。先祖代々続く家を他人には貸せない。そんな声も多くて、なかなか住む場所が見つかりません。結局、最初に住んだのは山奥にある小屋でした。ようやく家らしい家で暮らせたのは数年後。とはいえ、今のようにリフォームの補助金などはない時代。女手ひとつで娘を育てていたので経済的な余裕があるはずもなく、板を貼って釘を打ち、柿渋を塗ったりと、少しずつ自分好みの家に仕上げていきました。柳田の家は古くても材が良いので、手を加えればまだ住める家がいくつもあります。3軒の家を移築したパッチワークのような家。すきま風も多いけど、すごく気に入っています。冬場は作陶せずに、この家でゆっくり本を読んだり、茶室でお茶を点てるのが密かな楽しみ。家探しには苦労しましたが、今思えば辛抱強く探して正解だったと思っています。
村の人たちの生活すべてが教科書。
当時、中学生だった娘と二人で移住。周りからするとそれだけでも浮いた存在。最初の頃は追い出されないかと心配もしましたが、念願の田舎暮らしを心から楽しもうという気持ちの方が大きかったので、精神的に悩むことはありませんでした。実際には野菜を譲ってくれたり村の人はとても親切に接してくれたのですが、ここで甘えてはいけないと思い「美味しかったです。またちょうだい」ではなく「また食べたいので作り方を教えてください」と接するようにしました。それはイーブンな関係にないと、村の人たちと真剣に向き合えないと思ったからです。村のお婆ちゃんにかけられた「お客さんでいられるのは 5年だけだよ」という言葉も印象的でした。5年後に急に大根を植えることはできない。5年後に能登の人になるにはどうすれば良いのか。それからすぐに畑をやり始めました。野菜の育て方を教えてくれたのは村の人たち。とはいっても手取り足取り教えてもらったわけではありません。畑の様子を見ながらいつ種を植え始めたのかいつ耕し始めたのか。少しずつ覚えていきました。村の人たちの暮らしすべてが教科書。注意深く観察していれば、この町に何が必要なのか学ぶことができる。畑をはじめてから周りの見る目が少しずつ変わりました。
田舎暮らしで気づいた時間の大切さ。
能登町に暮らすようになって一番感じるのは時間の大切さ。通勤時間がなく、信号待ちもなく、銀行や役所で並ばない。都会よりも無駄な時間が少ない気がします。夜は静かで深く眠れる。移住する前より一日を無駄なく過ごしている感覚があります。能登町の人たちは午前中をとても大事にします。明け方に起きて正午までに一日の仕事を終わらせる。午後は昼寝をして、温泉に入ってゆっくり過ごします。私にはこの生活がすごく合っている。時間に余裕があるので心にも余裕ができる。視野も広がるので20年以上暮らしていても、いまだに毎日発見があって飽きません。
このアトリエと巡り会えたことも大きな出来事でした。有名になってはじめてアトリエを持つ作家が多い中、私は名もない頃からこの場所で作品づくりをしてきました。自分だけの空間で創作することの楽しさは、移住というきっかけがなければ手にしていなかったかもしれません。移住当初は娘を育てるため生活の糧としてパートに出ることも考えましたが、少しでも長い時間このアトリエで過ごしたいと思い、働きに出ることはしませんでした。もし、陶芸家として成功しなくても自分の遊び場として残したい。そう思うほどこのアトリエは私にとって大切な場所でした。今はこの場所で陶板を中心に、素材に自然のものを取り入れた置物や動物のオブジェを作りながら、都市から遠く離れた土地で見る自然、暮らす人の姿を、移住してきたときと変わらない新鮮な驚きと好奇心で見つめています。普遍的で瑞々しい能登の風景が、私の作品づくりの源となっています。
とある1日のスケジュール
- 5:00 起床
- 午前中が中さんが最もアクティブに活動する時間帯。畑仕事から作陶まで。なにも考えずに無心で作業する。日々の生活を句に詠むのが日課。
- 8:00 畑仕事
- アトリエに到着。周囲が山で囲まれた自然豊かな環境。周辺には中さんが管理する畑があり、柿やキウイなども育てている。ご主人が薪を割る姿も。
- 10:00 作陶
- 個性的な陶のオブジェなど作品は個性的。冬場は作陶を控えて、自宅にゲストを招いてお茶を点てることもあるという。贅沢な時間の使い方。
- 15:00 温泉
- 移住先の条件は温泉ときれいな空気と水がある場所だったという中さん。二日に一度は柳田温泉に入りに行くそうだ。